インタビュー
なぜ今,努力しないで成功する物語がはやるのか?――引きこもりのプロブロガー・海燕氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第17回
ギャルゲーの構造的矛盾
4Gamer:
初めから話が脱線してる気がするので,少しゲームの話をしてもらっていいですか。
川上氏:
そうですね(笑) では,この連載の定番の質問ですけれど,海燕さんのゲーム遍歴を聞かせてください。
海燕氏:
えっと,まあ,ぼくはゲームは“人並み”なんですよね。
川上氏:
と言いますけど,オタクの“人並み”って相当なものじゃないんですか?
海燕氏:
いえ,僕は本当に人並みなんですよ。それこそ,「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」を何本かやったという程度で。それはまあ,メジャーなタイトルはほとんど遊んでいますけれど,僕の世代だと,それって十分に人並みの範疇ですよね。オンラインゲームで何千時間を費やしました,みたいな豪快なエピソードは僕にはありません。で,この連載に呼ばれることが決まったとき,いったい何を話そうかと悩んだんですけれど,唯一,エロゲーはそれなりに遊んだと言えるかもしれないですね。
川上氏:
結構遊んでたんですか?
海燕氏:
ある程度はやっていますね。僕がよく遊んでいたのは1997年〜2006年くらいです。エロゲーの全盛期といわれる時代とほぼ重なっていますね。1997年というのはちょうど「To Heart」が発売されたあたりの時期なんですけど。
4Gamer:
コンテンツ界隈の時系列でいうと,「新世紀エヴァンゲリオン」の直後くらいの年代ですよね。
海燕氏:
はい。くわしく見ていくと,「エヴァ」と当時のエロゲーはあきらかに無関係ではない感じはありますね。やっぱり同じ時代の産物というか。むしろ,「エヴァ」が終わらせた後にある種のエロゲーが時代を作ったと見るほうが正しいのかな。ここらへんはちょっと微妙なところなんですが。ただまあ,僕がエロゲーをやりはじめたのは,ネットで「このゲームをやって3日間泣きつづけた!」とか,そういう書き込みを目にしたのがキッカケなんです。エロゲーといえば,エッチなゲームという印象じゃないですか。それで3日間泣くっていったい何ごとだと,そういう興味を惹かれてやり始めたんですが,やってみたらこれが面白い。
川上氏:
ちなみにそれは,なんていうタイトルですか?
「加奈〜いもうと〜」という奴です。妹が病気で死んじゃうという,よくあるストーリーなんですけどね。まあ,大半のエロゲーはルートが分岐するシステムになっているんで,助かるルートもあるにはあるのですが,基本的には死んじゃう。で,当時のオタクはわんわん泣いたわけですね。当時は「泣きゲー」という言葉があったわけなんです。文字通りの「泣けるゲーム」です。まぁただ,“ハマった”って意味では言うなら,やっぱり僕は「To Heart」がキッカケかもしれません。
川上氏:
「To Heart」はどこに惹かれたんですか。
海燕氏:
いや,こんなにも“何も起こらない”ゲームがあっていいのかというのが衝撃的だったんですよ。あれって物語的に見ると,だらだらと時間が進むだけで,大きな事件とかは何も起こらないお話ですからね。いや,最終的にはそれなりに事件が起きたりもするんだけれど,それはむしろおまけで,メインはやっぱり何も起こらない退屈な日常のほうだったりするんですよ。それが,「スーパーマリオ」とか「ドラクエ」に慣れていたぼくには衝撃的だった。そうか,ドラマティックな事件を何も起こさなくてもゲームは作れるんだという発見ですね。
4Gamer:
「To Heart」は,いわゆる“日常系”(※)の走り的な作品だとも言われていますよね。
※美少女キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。昨今では「空気系」とも呼ぶ。ゲーム以外の代表的な作品は「あずまんが大王」や「らき☆すた」など。ちなみに,日常生活を描く空気系とは逆に,主人公とヒロインとの小さな問題が,そのまま世界規模の危機に直結するような作品群を“セカイ系”という。こちらの代表作は「ほしのこえ」や「最終兵器彼女」など。
海燕氏:
そうですね。美少女がわらわら出て来てまったりと過ごす日常系の物語は,いまとなっては定番のスタイルのひとつではあるんですが,あの当時はとても斬新に思えたんですよね。ああ,この平和な箱庭があればいつまでもまったりと浸っていられる,と当時は思った。結果としてはそれは間違いで,やっぱりどこかでその平和さに飽きてくるわけなんですが。
それでですね,「To Heart」には葵ちゃんっていう女の子がひとりぼっちで部活をやっているところに,主人公が手伝いに行くというシナリオがあるんですけれど,ぼくはずっとその葵ちゃんのところにばかり行っていたものだから,シナリオが全然進まなかったんですね。もし,自分がほかの子のところへ行くと,葵ちゃんはこのままひとりぼっちで部活を続けるのか!と思うと可哀想で,何周してもつい葵ちゃんのところへ行ってしまう(笑)
川上氏:
じゃあ,「To Heart」では全ルートクリアみたいなことはしてないんですか?
海燕氏:
いや,最終的には他のルートも遊びました。「葵ちゃん,ごめん!」みたいな感じで。
ふうむ。あの,僕は昔から疑問だったんですけど,文学派のエロゲーマーの人とかって,よく純愛とか処女性がどうみたいな話をするじゃないですか。要するに“処女厨”なのにも関わらず,自分自身はギャルゲーで複数のルート(複数の女の子)を攻略しちゃうわけですよね。
海燕氏:
はい,そうですね。
川上氏:
それは矛盾なんじゃないかって思うんですけど。
海燕氏:
ああ,あきらかに矛盾だと思いますよ。
川上氏:
なら,当人達はどういう捉え方をしているものなんですか?
海燕氏:
その話が来ましたか……。そのあたりのことに関しては,実は長い長い議論がありまして。さっきの葵ちゃんの話じゃないですけれど,結局,美少女ゲームってひとりの女の子を救けると,ほかの女の子は救けられない構造になっているんですよ。つまり,どの子を救うのか選択を強いられるわけです。それにプレイヤー側が気がついて,「あれ,ぼくがこの子を救けているとき,あの子はどうなっちゃうんだろ?」という話がその議論の延長線上に出て来たりとか。
4Gamer:
主人公がフローラと結婚したら,ビアンカは幸せになれないの?みたいな話ですよね。
海燕氏:
そうです。というか,それはそもそも従来の漫画とかアニメで頻出していた不満だったと思うんです。主人公が物語のなかで誰を選ぶにしても,僕はレイじゃなくてアスカがいい!とか,その逆とかいう意見は常に出て来るわけです。そこで,ひとりのヒロインにひとつのルートを与える美少女ゲームが登場した。これならすべてのヒロインを選ぶことができるわけで,画期的なシステムといると思います。ところが,それはそれで,やっぱり「すべてのヒロインを救えるルートがない」という不満が出て来る。
また,美少女系のアドベンチャーゲームはあきらかに同時代の漫画とかラノベにも影響を与えていて,2000年代以降,そっちのほうで平行世界的な物語構造が生まれ,発展していくことになります。ただ,そうはいっても,主人公ひとりで全部を解決することは難しいとは思うんですよね。ヒロインが10人とかいる時点で,主人公ひとりで全員を幸せにするっていうのは無理がありますから。
川上氏:
まぁそうですよね。
海燕氏:
だから僕は,最終的にはヒロインが複数いたら,男性側も複数になる方向に進むんじゃないかって思ってるんですけど。
川上氏:
それは主人公を複数の男性キャラから選ぶってことですか?
海燕氏:
その物語はもはや,単一の「主人公」がいるスタイルにはならないかもしれません。なぜ,美少女ゲームを含むオタク向けのラブコメディで同格の男性が複数出て来ないことが多いかというと,やっぱり「主人公(=自分)以外にヒロインがなびくなんて許せない!」という,「ネトラレ意識」が発生するからです。
しかし,この「ネトラレのタブー」は必ずしも絶対的なものではないと思うわけです。このタブーを乗り越えたら,オタク向けのラブコメは全くいままでと違うものになる可能性があります。実現するかどうかは何とも云えませんけれど……。
まあ,でも,そうなるともはやギャルゲーやエロゲーの文脈じゃなくなりますね。とにかく,女の子複数に対して男の子も複数いるって構造にしないと,色々と無理が出て来ることは確かかな,と思います。
川上氏:
確かに筋論からいうと,そういうことですよね。それなら僕も納得できます。それがエロゲーかどうかは別にして(笑)
ホラーゲームは構造的に矛盾している?
川上氏:
普通のゲームは,ドラクエとFF以外には遊ばなかったんですか?
海燕氏:
子供時代には,いくつか遊んでいますね。まだゲームバランスが整っていない作品が多かった時代に,いまでいうクソゲーを結構遊んでて鍛えられています(笑)。ただ,これはクソゲーではありませんが,印象に残っているものは「ファイアーエムブレム」とかですかね。あれはいま振り返ると,「関係性萌え」の先駆けだったかなと思います。
各キャラクターが死ぬときに,何かひとこと言い残していくんですけれど,そのひとことから関係を想像していくんですよ。つまり,「ああ,リンダ!」と言い残して死んだキャラがいると,そいつがリンダを好きだったことがわかる。そういう断片的な情報から関係性を妄想して楽しむ喜びを教えられた作品です。
僕的には,あの手のゲームで印象に残ってるのは「タクティクスオウガ」あたりなんですけどね。ただ,あのタイトルが出てきたあたりから,一見自由度が高いように見えて,実は「ひとつしかない攻略法を見つける」みたいなゲームになっている気がして。
海燕氏:
その意味でいうと,僕は途中で「もうゲームはいいや」ってなっちゃったタイプなんですよね。やっぱり物語のほうが好きだって。だから,ゲームでも物語を語ることに特化してしまったようなスタイルのエロゲーならまだ遊べたんですけども。
4Gamer:
純粋に物語を楽しむなら,物語が主体の媒体の方がいいやってことですか。
海燕氏:
言ってしまえばそういうことですね。たとえば,アクションゲームの合間にストーリーが進んでいくというようなゲームをやると,そのアクションをプレイするのが面倒くさいんですよ。ああもう,僕が気になっているのはこのヒロインがどこにさらわれたかのほうなのに!みたいに考えてしまう。そういう意味では,僕はゲームには向いていないんでしょうね。
川上氏:
でも本来ゲームっていうのは,物語をもっとリアルに,もっと没入感をもってユーザーに体験させられるメディアのはずじゃないですか。
4Gamer:
そうですね。
川上氏:
でしょ。なのに,そこに変な要素が混ざってしまって,物語をちゃんと与えてくれないアーキテクチャ(構造)になっているなって印象があるんですよねぇ。とくにホラーゲーム。あれについては,ずっと昔から「ホラーゲームの構造っておかしくないか?」と考えていて。
海燕氏:
どうしてですか?
僕はホラーゲームが大好きで,怖さを体験したくてホラーゲームをよく買うんです。なかでも,とくに「これは怖い!」と思ったのが「サイレントヒル」という作品で。
4Gamer:
ああ,金字塔ですよね。
川上氏:
「サイレントヒル」の一番最初って,アメリカの片田舎の街の外れについて,そこから視界が悪い霧の中を歩いていくってシーンなんですけど,僕は最初,その霧の中を歩いて行くっていうのが怖すぎて堪えられなかったんです。「本当に怖い。無理!」と思ってゲームを辞めてしまいました。だから,僕はサイレントヒルでは一体のゾンビとも遭遇していないんです(笑)。
4Gamer:
まぁ分かります……(笑)
川上氏:
「SIREN」とかも最初のステージが本当に怖くて。しかも,恐怖でパニックになっている中で,謎解きをさせられるわけです。当然,クリアできない。で,しばらくしてからまた始めて,今度は攻略本とかを読みながら,「こうやったら解けるのか」とか思いながら進めていたんですけど,あの手のゲームって,例えばゾンビとかに襲われると,「怖い」という思いを一旦振り払って,冷静に対処して行動しなきゃ駄目じゃないですか。
4Gamer:
そうですね。
川上氏:
つまり,ホラーゲームをクリアするためには「怖がってちゃいけない」わけですよね。慣れてくると,もうゾンビとかが出てきても「ハイハイ」って感じなっちゃって,ただのアクションゲームみたいになるでしょう。本当は怖がりたいのに,怖さを体験したくてホラーゲームを買っているのに,怖がっていたらやられてしまうわけです。これって,やっぱり構造的な矛盾なんじゃないかって。
4Gamer:
なるほど,確かにそうかもしれません。まぁでも,ホラーゲームでそういう批判(?)をしている人には初めて会いましたけど……(笑)
海燕氏:
つまり,「ゲームをクリアしていく喜び」と「雰囲気を味わう喜び」がコンフリクトしているわけですよね。雰囲気に耽溺(※)していたらゲームはクリアできないし,ゲームに集中していると雰囲気を味わえない。
僕は,「ゲーム」と「物語」にコンフリクトを感じていたけれど,「ゲーム」と「雰囲気」もぶつかり合っているわけです。そういう意味では,コンピューターゲームはいまだ発展途上のエンターテインメントなのかもしれませんね。将来的には何か良い解決策が見つかるかも。
※たんでき。一つのことに夢中になって他を顧みないこと
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