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徳岡正肇のこれをやるしかない! / 第12回:「トロピコ3」で,ゲームにおける独裁者の意味を考える
カリブ海に浮かぶ美しい島国を舞台に,独裁者となったプレイヤーが,アメリカとソ連,二つの超大国にコビを売って支援を受け,さまざまな要求を訴える住民には八方美人で接し,選挙結果をごまかし,やばくなったら軍隊出動,という国家経営を繰り広げる「Tropico 3」(以下,トロピコ3)。白い砂,青い海,涼しげなパームツリー。陽気なラテン音楽に乗って,マンガチックな独裁者を演じつつ,どこか現実とクロスする絶妙のゲーム性を持つ本作の奇妙な魅力を,ライターの徳岡正肇氏が解き明かしていく。
ちなみに,ブラックなユーモアがあちこちにちりばめられたトロピコ3だけに,英語PC版ではそれなりの読解力を求められたのも事実。5月20日にラッセルからリリースされる予定の日本語Xbox 360版ではそんな心配はないので,興味がおありならぜひ試してみよう。
トロピコ3は,カリブ海に浮かぶ小国を支配する独裁者となって開発や独裁をエンジョイするという,一風変わった箱庭ゲームだ。ゲームの概略については2009年12月に掲載した「海外ゲーム四天王」に譲るとして,今回は2010年5月20日にラッセルから発売される日本語Xbox 360版を記念しつつ,このゲームの奇妙な魅力に迫っていきたい。題して「なるほど! ザ・トロピコ3」。どこかで聞いたことがあるタイトルなのはきっと気のせいだ。
トロピコ3が面白いのは,「冷戦時代の」「中南米の開発独裁国家における」「独裁者をプレイする」という三つの要素が,渾然一体になっているところにある。
このゲームの大前提となるのは,国家が経済的に離陸するためには,アメリカ合衆国もしくはソビエト社会主義共和国連邦,なんだったらその両方からの経済支援が「必須」ということだ。「反帝国主義,反植民主義,民族自決」のスローガンは理念としては実に素晴らしいが,演説だけでは食っていけないという現実がそこにはある。
というわけで,現実的かつ理想的な政策は,「アメリカにもソビエトにも,とりあえずはコビを売る」ことに尽きる。とりあえずその両方から経済援助を頂戴することで,貧弱な孤島の経済はなんとか自立への道を歩むことが可能なのだ。
なーに,アメリカには「自由主義経済こそが,国家発展と国際平和の礎になのです」,ソビエトには「下部構造こそが上部構造を規定するのです」とかなんとか,適当なことを言っておけばいいだろう。
一方,この「両面作戦」には,別の意味もある。
本作では,アメリカあるいはソビエトとの関係があまりにも悪化しすぎると,彼らの軍事介入を招いてしまう。ソビエトの軍艦がカリブ海を遊弋するというのは,ちょっとフィクションに過ぎる部分がなきにしもあらずだが,往年の史実を思い出せる方なら「ああ,そういえば」とうなずきながら軍艦を眺めることになる。
いずれにしても,超大国による軍事介入が行われたら,問答無用で即座にゲームオーバーになる。その段階で,我らが大統領がどれほどの軍隊を抱えていようが,まったく関係ない。まあ,現実に即して考えてみても,それは当たり前だ。
結果的に,このゲームにおける「イデオロギー」とは商材であり,命綱であり,そして絞首台の縄ともなる。それは,冷戦期におけるほとんどの国家にとっての現実でもあったのだ。
この一種の中立政策,悪くいえば日和見主義は,国内に対しても存分に発揮される。
トロピコ3では,国民はさまざまな主義主張――というか,「大事だと思うもの」を持っている。人によってそれは宗教(=中南米なので自動的にカトリック)だし,自然環境保護や経済発展,軍隊の増強やナショナリズムだったりもする。
これらの欲求を,すべて同時に満たすことはほとんど不可能だ。工業化すら果たせていないような国家にとって,経済発展と自然環境保護を両立させるのは極めつけに困難な仕事だし,経済発展とナショナリズムも往々にして両立しない(例:「移民を入れて経済発展だ!」「移民など入れたらこの国は破綻する!」)。
うなるような大金があればある程度の両立も可能ではあろうが,それはたいていの場合,ないものねだりもいいところである。
だが,賢明な読者の皆さんは,こう思うだろう――「いいじゃん,要求なんて無視すれば。だって独裁者なんだもの」
まったくもって,そのとおり。ぶっちゃけ,こういった要求は無視しても基本的に問題はない。だって,独裁者なんだから。
……とはいえ,独裁者は万能だが,全能ではないのだ。
トロピコ3において,大統領は選挙で選出される。島民からの不評を買いすぎれば,選挙での敗北は免れない。選挙に敗れたが最後,またしても問答無用でゲームオーバーである。
もちろん万能の独裁者であれば,現代社会でも見られるように,選挙結果をねじ曲げることもできる。しかしそうやって政権の命脈をつなげば,必然的に国民の不信感は高まっていき,溜まった不満は,やがて武装蜂起という形に結実する。小規模な「反乱」であれば,軍隊を用いて鎮圧することも容易だろう。だが蜂起の規模が大きくなれば鎮圧は困難になるし,このゲームにおける鎮圧とは「反対者を撃ち殺す」ことなのだから,国家の基礎体力である人口の低減をもたらし,経済の停滞を招く。そして経済の停滞は市民の不満を増大させるという,下向きの無限ループに陥る。
繰り返すが,独裁者は万能だが全能ではない。プレイヤーは,島民という現実をきちんと見据えて,まずは彼らにシッポを振って見せ,ときにアメとムチをちらつかせつつ,うまく彼らを「指導」していかねばならないのだ。
そのうえで,必要とあれば選挙結果など無視し,反対者に対しては秘密警察を動員しよう。そこまでやってもどうしようもないなら――そのときこそ,鍛え抜かれた我が国軍の出番である!
ちなみにトロピコ3では,一部の特殊なシナリオを除くと,軍隊は反逆者に向かってしか発砲しない。歴史的背景を持ったシミュレーションとしては,実にマトを射ている。
こういった内政の問題のなかで,最も大きな課題となるのは,「格差社会」である。
本作では,各職業の給与はプレイヤーが決定する。要するに,すべての企業は国営企業なのだ。しかしながら,職種による最低賃金というものは決まっていて,第一次産業に従事する人達よりも,第二次産業や情報産業,あるいは公務員(警察など)といった職のほうが最低賃金が高い。
当然のことだが,賃金が高い仕事のほうが人気が出る。「賃金が高いからその手の産業はナシにしよう」という政策がまったくあり得ないわけではないものの,やはりちゃんとした経済を立ち上げるためには第二次,第三次産業は欠かせない。
順番が逆にも思えるが,工業化を果たすためには学校教育が必要となってくる。なぜなら,第二次産業以上の職種に就職するには高等学校教育を修了していなくてはならないのだ。こうしたサイクルを経て,第一次産業に従事するしかない人々との間には,経済的にも教育的にも格差が開いていくわけだ。
一方,そうやって工業化を進めていくと,今度は別の問題にぶちあたる。
このゲームにおいて,国家の産業は国家の内部だけで完結させる必要がある。つまり,パイナップルの缶詰を輸出することで国家を成り立たせたかったら,缶詰工場だけでなく,パイナップルも自国で生産しなくてはならないということだ。
その結果,産業規模が拡大し缶詰工場が増えていく(つまり,教育を受けた高収入の工員が増える)につれ,その生産力に比例してパイナップル畑を耕して一生を終える人口を確保していかねばならなくなる――同じ教育を受けてきた島民が前者と後者でどちらの人生を選びがちか(あるいは選びたいか)は,いうまでもないだろう。
教育格差は,別の場所でも爆弾を作る。島を電化し,マスコミを設立して島民に娯楽を提供するといった段階になると,大学出のインテリが必要になる。ならば,ということで大学を設立すると,経済的に余裕の出てきた島民はこぞって大学に進学するようになる。
だが「大卒」という高学歴を生かせる職場は,大聖堂で説教をする牧師か,発電所の職員か,あるいは大学で教鞭を取るかしかなく,非常に限られている。へたをすると「大学は出たけれど……」という人材を大量に輩出しかねない。
格差は,必然的に社会不安を呼ぶ。第一次産業の衰退は国家の破綻に直結するが,かといって賃金を水平化すれば,経済は簡単に崩壊してしまうだろう。万能の処方箋はもちろんないので,「ヘタに手をつけず,社会格差はそのままで置いておこう」という苦しい声は,本作のプレイヤーなら誰でも一度はあげるはずだ。
さて,あちこちにブラックな笑いが満ちた本作だが,これをゲームとして見事にまとめる要素が「独裁者としての大統領」という設定だ。
筆者はしばしば「一部のRTSは,プレイヤーが何者なのかあまりにも判然としない」という批判を行ってきた。戦車の主砲に徹甲弾と炸裂弾のどちらを装填するかを決定すると同時に,歩兵がどの塹壕に突撃するかを決めるというのは,あまりにも視点に統一感がないのではないか,ということだ。
トロピコ3において,視点は完全に統一されている。つまり,プレイヤーは独裁者だ! プレイヤーが自分の思うがままに道路を引き,住居の建築計画を立て,外交政策を決定し,選挙の結果をごまかすことに,矛盾も揺らぎも存在しない。だって独裁者だもん。
もちろん,これはいささかゲーム的な誇張であるとはいえる。現実の独裁者が聞けば,「そこまで簡単に何でもできりゃ苦労しない」と反論すること間違いなしだ。
とはいえ,庶民たる我々はなんとなく「独裁者ってこんなものかもしれないなあ」と納得できるし,あくまで一種のブラックユーモアとしてそれを受け入れることができる。そして,この「とりあえず陽気にいこうじゃないか」的なノリは,延々と流れ続けるラテンミュージックによって,ごく自然に支持されていく。
トロピコ3は,ゲームとしては極端な表現をした作品だ。少なくとも,リアルなシミュレータではない。けれどその極端さがただの荒唐無稽に陥らず,ある種の社会風刺かつ娯楽として機能していることは高く評価できる。
ストラテジーにおける「プレイヤーの視点」問題に対して一つの解決を提示していることも,個人的に重要なポイントだ。「ストラテジーゲームのプレイヤーって,よく考えたら究極の独裁者」→「では本当に独裁者にしてみよう」という,その視点の切り替えが鮮やかだ。そして,そのウィットに飛んだ切り返しこそがトロピコ3を,類例を見ない箱庭シムの一つの頂点へ導いているのではないだろうか。
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トロピコ3 日本語版
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