連載
意外なところにゲーム人 第10回:ゲームのノウハウをヘルスケア事業に活用するスマイルラボ代表 伊藤隆博氏
かつてナムコやコーエー(いずれも当時)でゲーム開発に携わり,現在はゲーミフィケーションデザイナーとして活躍している岸本好弘氏とともに,ゲーム作りのノウハウをゲーム以外の分野で活用している人を取材していく連載「意外なところにゲーム人」。
連載第10回に登場いただくのは,スマイルラボ 代表取締役社長の伊藤隆博氏だ。伊藤氏は10代の頃からPCやゲーム,プログラミングに慣れ親しみ,東京造形大学でデザインやCGを専攻したが,卒業後はゲームとは縁遠い業界で活躍。ゲーム業界に深く関わり始めたのは2005年頃で,2008年にはスクウェア・エニックス・ホールディングスの出資を受けてスマイルラボを設立し,ソーシャルゲームの開発などを手がけた。
その後,スマイルラボは2017年に独立してヘルスケア事業にも参入し,2019年にはヘルスケアアプリ「FiNC」を手がけるFiNC Technologiesのコンテンツ開発スタジオとしてリスタートしている。
伊藤氏曰く,現在の「FiNC」のコンテンツ開発には,自身のキャリアのすべてが活かされているとのことだが,ゲーム業界や他業種で培ったノウハウがどのように役立っているのだろうか。
岸本氏:
この連載では初めてのゲーム業界からヘルスケア業界へ進出されたお話です。会社ごと,ゲーム開発をやっていたスタッフたちを引き連れての転身だそうです。
スマイルラボ 公式サイト
ファミコンではなくカセットビジョンJr.を選んだ人生
伊藤氏が最初にプレイしたゲームは,1980年に登場した任天堂の携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」シリーズだった。しかし,伊藤氏が次に買ったハードウェアは,同じ任天堂のファミリーコンピュータではなく,エポック社のカセットビジョンJr.だったという。
伊藤氏:
あのとき王道のファミコンを選んでいれば,僕の人生ももう少しまっすぐなものになったと思うんですよね(笑)。ちょっと変わった新しいものが好きだったんです。
中学生になった伊藤氏はNECのPC-8801mkIIを買い与えられ,「夢幻の心臓」や「ザナドゥ」などのPCゲームを夢中になってプレイした。とあるタイトルでは,ゲームをクリアした先着100名に記念カードをプレゼントする企画が行われたのだが,伊藤氏はそのカードを手に入れるために1週間学校を休むほど,ゲームにハマっていたそうだ。
そのかたわら,父親が設計技師で,また母方の家系に画家がいたことから,伊藤氏はものを作ることにも親しんでいた。図工の課題作成に製図器を使ったり,父親と一緒にテレビのアンテナを屋根に取り付けたりしていたのだという。
伊藤氏:
学級委員長をやるといった一面もありましたが,休みの日にはずっと1人で絵を描いたり,森の中にダンボールの家を作ったり,変な子だったと思います。
岸本氏:
子どもの頃にゲームを夢中になってプレイするのは,悪いことではありません。言い換えるなら“ハマるデザインのユーザー体験をする”ということなんです。この経験が後に,作り手へ回ったときに活きます。
その後,伊藤氏は進学校に入学するのだが,「良い大学を卒業して,良い会社に入社する」という世間の風潮に疑問を抱き,学校に行かず自宅でプログラミングをしていることが多くなっていった。そんな伊藤氏に対して,両親は「自分で決めることだから」と,とくに干渉しなかったそうだ。
その過程で「自分はものを作ることが好きなので,美大に行ったほうがいいのではないか」「ゼロからものを作りたい」と考え,東京造形大学でデザインを学ぶことに決めた。伊藤氏は大学でサークルを結成し,自分達で資金を集めてMacやAmigaといった機材を購入してCGアニメーションの制作や研究を行っていたという。
伊藤氏:
東京造形大学は美大だから,何かの絵を描いたら賞を取れるような人達が集まっていました。絵を描けるのは当たり前で,大事なのは「何を伝えるか」だということを学びました。
また「伝える技法」としては,当時流行し始めていたCGやインターネットに着目して,絵やデザインに関するあらゆる手法や技法を学んでいました。特に消しゴムを使わずに何度も描き直せる「Photoshop」には大変衝撃を受けて,CGやインターネットに傾倒していきました。また当時のCG分野は,先駆者が少ないという状況も「新しいデザインの世界」だと思いました。
商品企画のキモは「お客様と一緒に歳を取ること」
東京造形大学を卒業した伊藤氏は,女性向けシューズブランド「卑弥呼(HIMIKO)」にデザイナーとして入社する。それまで注力していたCG分野に進まなかったのは,当時のCGコンテストでは,人の毛穴まで再現しているといった機材の性能演出が評価される傾向にあったからだという。そうした高性能の機材はテクノロジーの進歩によって普及していき,やがて誰でも使えるようになると考えた伊藤氏は,そういった時代が来るまでは,「実際に手に取ってもらえるアナログなモノ作りの技術やセンスを磨こう」と考えたそうである。
伊藤氏:
実は僕自身,あまり身体が強いほうではなく,特に足が疲れやすい体質でした。あるとき,「日本中の人々を足元から健康に美しく」というキャッチコピーを掲げている卑弥呼の社長の奥さんと出会う機会があって,「日本人の足にフィットする靴をデザインしたい」という話をしたら,「じゃあ,うちに来てみたら」と言っていただき,入社することになりました
卑弥呼に入社した伊藤氏は社内のすべての業務を把握するべく,まず倉庫での商品の箱詰めや店頭販売,返品対応を経験した。デザイン業務に戻ったあとも,夜に商品データベースプログラムの手直しをするなど,精力的に働いていたそうだ。ほかの先輩社員からは「お前は仕事をしすぎる」「周りが大変になるから常識的な仕事をしてくれ」と言われたこともあったという。
伊藤氏:
卑弥呼ではデザインもさることながら「商品企画」の基礎を学びました。学生時代に絵を描いても,それだけは売上にはつながりませんが,商品企画はあらゆることを考えなければなりません。例えば「この靴を1万9800円で売るには,原価を1万2800円に抑えなければならない。1つの部材がいくらで,革がいくらで……」とか,「原価を下げるために何万足作る必要がある……」とか,卑弥呼ではデザイナー自身が原価を計算して,展示会でも自らが全国の小売店長に売り込むんです。デザインから商品企画,マーチャンダイズまでやったことが,大変良い経験になりました。
卑弥呼時代に伊藤氏が特に心に深く刻まれたと語るのは,上司から言われた「お客様と同じ記憶を持て」「お客様と一緒に歳を取れ」という言葉だ。卑弥呼は何十年も続いているブランドなので,「あのとき買ったこの靴が本当に良かったから,同じ木型のモデルを買いたい」という顧客も少なくない。そんなブランドで「新しいデザインの靴」を生み出すためには「これまでのデザインの靴」をすべて暗記しておく必要があると言われたのだという。
それを聞いたときは「そんな無茶な」と思ったという伊藤氏だったが,店頭に立ち,実際に同じ木型のモデルを顧客に依頼されたとき,上司の言葉の大切さを実感したそうだ。
伊藤氏:
良いものを作り,お客様と一緒に歳を取れば,10年20年と愛されるブランドになる。卑弥呼では,これを徹底的に教え込まれました。
絵がうまいだけでは勝負にならない。買いたくなる靴,履き心地の良い靴,壊れない靴,原価を意識する……とありとあらゆることを考えなければならないんです。また1万9800円という価格は,決して安くありません。自分用だけでなく「娘のために買う」というお客様もいて,いろいろなニーズがあるわけです。本当に勉強になりましたね。
「村人たちが木の棒でラスボスに勝とうとするような試み」をしていたUSEN時代
卑弥呼でヒット商品を生み出すことができた伊藤氏は,退社して衛星通信を使ったプリントシール機のプロジェクトに携わったのち,1999年に大阪有線放送社(現USEN,本稿では以下,USENと表記)に入社。当時,代表取締役社長に就任したばかりの宇野康秀氏が推進していたインターネットプロジェクトの責任者に抜擢された。
伊藤氏:
たまたま知人から「宇野さんに会ってみたら。面白い人だよ」とアドバイスを受けて入社することになりました。最初は楽天かYahoo!に行くつもりだったんですが……ここでまたカセットビジョンJr.を選んだ僕の性格が出たんですよね(笑)。
しかし当時,誰もインターネット事業を立ち上げた経験者がいなかったので,伊藤氏は新卒説明会に参加した人の中から12名をインターンとして採用し,USEN初のインターネット事業を展開。その内容は,現在USENが展開している「ヒトサラ」の前身となるグルメ検索サイトだった。
伊藤氏:
例えば先行している競合サイトに,5000件の飲食店が掲載されていたとします。当時のUSENには全国に3000人の営業マンがいましたから,1人あたり2件契約できればそれだけで6000件を掲載できる。「これは確かにやりようがあるな」と思いました。
こうして伊藤氏は,楽天とYahoo!を相手に回して,グルメ検索サイトを皮切りにECサイト事業(3000店舗),クーポン事業(3万店舗)を手がけることになった。スタッフは100名ほどに増えたものの,その大半は新入社員という状況でやはり経験者がいない。経験豊かな魔法使いも歴戦の勇者もいない……まさに「村人たちが木の棒を持って,ラスボスに勝とうとするような試み」だったと振り返る。
伊藤氏:
宇野さんとの仕事の思い出は,僕が事業の相談をしたいと連絡すると,どんなに忙しくても絶対に時間を取ってくれたことです。どんなに忙しい日でも「今日のミーティングは2時からでいいかな?」とか言われるんですが,それが深夜の26:00だったりすることもありました(笑)。当時サービス企画やデザインだけではなく,事業計画なども担当していたのですが,数字の計算が合わないときなど,PL表が黒字になるまで一緒にEXCEL表を朝まで考えてくれたり。
ベンチャーイズムというか,実業家の働く姿勢であったり「ゼロから事業を作る」ということを教わりました。また「仕事は一緒にやるか,任せるか、二択しかない」ということを学びましたね。
しかしUSENが上場し,会社の経営が安定してくると,周りが40代の部長なのに,自分だけ30歳で部長職という状況に息苦しさを感じるようになったと語る。たまたまUSENの転換期に宇野氏から仕事を任され,全国の営業部長に力を貸していただけただけなのに,そこに胡座をかいていたのでは自分の成長が止まってしまうと考え,退社してクリエイターに戻ることを決意した。
伊藤氏は,2005年に学生時代の知人でありNHN Japanの取締役(当時)だった森川 亮氏の誘いを受け,オンラインゲームポータルサイト「ハンゲーム」のプロジェクトに関わることになる。
伊藤氏:
USENを辞めるときに宇野さんから言われたことは「インテリジェンス(現パーソナルキャリア)で転職する人を見てきた自分からすると,お世辞じゃなく伊藤は3本指に入るくらい企画力がある。たぶん変態級(笑)。もしかしたら,USENの部長職で稟議書に判子を押しているよりも,伊藤はクリエイターに戻るほうがいいのかもしれない。何かあれば戻ってくればいい」でした。ありがたいことにそう言っていただけたので,初心に戻ってゼロからやってみようと思ったんです。
「未成年が安心安全に楽しめるネットサービスを」を掲げたスマイルラボ
NHN Japanに入った伊藤氏はまずゲーム開発体制の調整などを行い,その後,MobageやGREEでは当たり前となった「ゲームをプレイしてその結果を日記に書く」という「ゲームコミュニティ設計」をハンゲームに導入したりした。
伊藤氏:
ハンゲームへの転職は悩みました。USENという最先端のインターネット事業会社で事業部長をやっていたんだから,スクウェア・エニックスやセガのような大手に行くチャンスもあったのに,またカセットビジョンJr.を選んでしまったかと(笑)。
当時のNHN Japanは会社の組織化はまだ十分とはいえず,1日1000件におよぶこともあったユーザーからの問い合わせ対応がシステム化されておらず,そういったバックヤードのシステムを作ることも含めて,組織ごと作っていきました。ゼロから組織を作るのは学生時代からやってきたことですので,当時の社長と一緒に組織を作っていきました。
しかし伊藤氏自身は.2008年にNHN Japanを辞めることになる。理由はある時からプレイヤーコミュニティが悪用され,未成年に被害がおよぶことが起き始めたことがきっかけだった。もちろん,24時間の監視体制や組織的なサポート体制も作ったが,「もっと,安心安全に楽しめるインターネットサービスは作れないのだろうか」という思いが強まっていったのだという。
NHN Japan退社後,伊藤氏はスクウェア・エニックス・ホールディングスの当時の代表取締役社長 和田洋一氏の誘いを受け、同グループの100%資本でスマイルラボを設立する。和田氏は,伊藤氏の「誰もが安心安全に楽しめるインターネットサービスを作りたい」という思いに,賛同の意を示してくれたという。スマイルラボは,和田氏と伊藤氏が話をしてからわずか1週間というスピードで創業サービスが決定し,その1〜2か月後にはプロトタイプの開発に着手していたそうだ。
伊藤氏:
スマイルラボでは,ネット初心者がトラブルに巻き込まれないサービスとして「Nicotto Town」を作りました。開発のとき,MobageやGREEに続く第3のモバイルSNSにするべく「ミニメール(1対1でやり取りするメッセージ機能)を入れて事業拡大していきませんか」という提案を外部からいただくこともありました。しかし,そこは私が抱いていた「インターネット上で安心安全に楽しめる場を作りたい」という気持ちを押しました。また,そこでトラブルが起きたら,その意を汲んでくださった和田さんにも迷惑がかかります。ここは売上よりも,ユーザーと共に長く続くサービスを取るべきだと思ったんです。
実際,現在に至るまで「Nicotto Town」には,ユーザー同士が個人間で連絡を取れる機能は実装されていない。それもあってか,売上はMobageやGREEのように大きく伸びることはなかったが,今でも数万人のユーザーが10年以上,スタッフと共に年齢を重ねて同居しているような運営が続けられている。
さらに2020年12月のAdobe Flash Playerのサポート終了に向けて,HTML5環境へのプログラム移行が2016年から5年間にわたって行われた。移行したアバターアイテムは10万点にもおよび,その費用には伊藤氏自身の私財も充てられたという。
そこまでして「Nicotto Town」のサービスを続けたのは,やはり伊藤氏の「インターネット上で安心安全に楽しめるサービスを作りたい」という強い思いがあったからだという。
伊藤氏:
大きな企業であれば,5年間も再投資を継続する判断はしないと思います。でも自分がクリエイターとして,ずっとカセットビジョンJr.を選び続けるような人生を送ってきたわけですし,MobageやGREEではなく,「Nicotto Town」を選んで頂いたお客様の居場所を守るためにも,やれるところまでやってみようと思いました。Adobe Flash Playerのサポート終了と共に,パソコン上のいろんなアバターSNSサービスが撤退したけれども「Nicotto Town」だけは残そうと。
またお客様も「『Nicotto Town』だけ,運営チームの執念で残してくれた」「小学生の頃からやっていて、成人しました」とコメントしてくださったり,「最近,結婚しました」というお手紙や贈り物をくださったりするんです。卑弥呼のときに学んだ「お客様と一緒に年を取る」ということを少し実践できたのかもしれません。
岸本氏:
王道ではない道を歩み続ける伊藤さんですが,ものづくりで一番大切な自身の「信念」は貫いている。素晴らしいですね。
あらゆる経験を活かしヘルスケア事業へ。ゲームのパラメータ計算をリアルの生活に当てはめる
2017年,スマイルラボはスクウェア・エニックス・グループから独立し,ヘルスケア事業へと進出する。
スマートフォンゲーム市場は,ほかのビジネス市場とは比較にならないくらい収益率が大きい。ゲーム事業からヘルスケア事業に転身するには大胆な大幅経営戦略略の変更が必要だ。
そんなことを考えていたときに目にしたのが,「FiNC Technologiesが累計100億円超の資金調達を達成した」という2018年9月のニュースだった。さっそく伊藤氏は同社の取締役CFO 小泉泰郎氏を尋ねることにする。
伊藤氏:
さっそく小泉さんに相談したところ,「ヘルスケア事業をやるならFiNCが最先端を行っているからFiNCグループに合流してはどうか」と提案してくださったんです。そして2019年7月にFiNCグループに参画し,そこからCPO(チーフ・プロダクト・オフィサー)として「FiNCアプリ」の設計を1年以上続けました。2020年10月には1000万ダウンロード達成し,AppStore(Apple)のフィーチャーに掲載されるようにもなりました。
「FiNC」アプリは「歩く」「食事を記録する」といったユーザーが健康にまつわる行動を取るとポイントが貯まっていく。貯まったポイントはFiNC MALLの商品を購入するときに使えるようになっており,ユーザーが健康的な生活を継続するモチベーションに働きかける仕組みだ。
いわゆるゲーミフィケーションを採り入れた内容と言えるが,伊藤氏は内部的なパラメータにさらに手を加え,よりユーザーのモチベーションを高める試みを行った。
伊藤氏:
僕はゲームを作るとき,表計算ソフトを使って生のパラメータを作ります。ストップウォッチを片手に,「バトル開始10秒でWave 1終了,Wave 2が終わって全30秒,その30秒で体力12消費,体力全回復が100円だから1分あたりのプレイヤーの課金額は……」みたいな計算をします。これは「Nicotto Town」も同じで,「何分のゲームで,どれだけプレイしたらコインが排出されて,いくら買うと……」といったように仮想経済を成り立たせています。
「FiNC」アプリには,それを再計算して実装しています。例えば「FiNC」アプリは一定歩数を歩くとプッシュ通知が届きますが,僕は“1500歩”という数値が重要だと思いました。人の歩幅を60cmとすると,1500歩だと900m歩く計算になります。この距離は,多くの人にとって自宅から駅のホームまでの距離なんです。そうなると,駅のホームや電車内など,900m歩いて立ち止まっている時に「1500歩達成したプッシュ通知」が届きます。
立ち止まっている時にプッシュ通知があれば,ユーザーがスマホを見る確率が高いです。そうやって,ゲーム的なパラメータ設計手法をリアルの生活時間に当てはめることを,僕は「タイムマネジメント」と呼んでいます。
岸本氏:
伊藤さんの「タイムマネジメント」の話は,アーケードゲームに通じるところがありますね。私がアーケードゲームを開発していた頃は,ロケテストでストップウォッチを持ってプレイ時間を計っていました。100円でプレイしてもらう想定時間が平均3分でしたから,プレイヤーが3分で席を立つことなく,次の100円を入れてもらえるような体験を提供することを目指していたんです。
例えば「パックランド」では,ゲーム開始からどれくらいの時間で池を大ジャンプさせる体験を入れるかを計算して池の位置を調整していました。「ゲーム開始から45秒の位置だと早すぎる,1分30秒の位置だと遅すぎる,みたいな位置決めをしていました。
このタイムマネジメントの考え方はゲーム業界では当たり前のことだが,他業種ではあまり浸透していない考え方だと伊藤氏は語る。実際,ほかの企業からヘルスケアアプリの相談を持ちかけられたときにタイムマネジメントの説明をすると「そんなところまで我々の会社の企画スタッフはやったことがないので,FiNCのプロダクトチームにアプリ開発を委託できないだろうか」と言われることも少なくないそうだ。
伊藤氏:
ゲーム開発に携わる方々は,そういうことを普通に日々やっていると思います。すごいことをしている……と尊敬しています。ただ,自分達でそれに気づいていないというか,ゲーム開発ではそれが普通というか。
だから非ゲーム企業のプロダクトに携わって,そういう設計プレゼンをすると,すごく驚かれます。でも僕がやっていることは,岸本さんのような往年の先輩ゲームクリエイターに教えられたことをそのままやっているだけなんです。
今ではUI/UXといった「体験の設計」が貴重だと言われてますが,ゲーム開発の現場では昔からストップウォッチを使って100円で体験できる内容を決めていました。そのノウハウは一般アプリの開発でも注目されるスキルだと思います。
岸本氏:
ゲーム業界とほかの業界を行き来している伊藤さんならではの意見ですね。伊藤さんはゲーム業界で得た知見をほかの業界に活かし,ほかの業界で得た知見をゲーム業界に持ち込んでいる。素晴らしいことだと思います。ゲーム業界では,「ほかの業界でやっていけないんじゃないか」と考える人も少なくないんですが,そんなことはないんですよね。
人は困っていて必要なことか,やって楽しいことしか継続できない
スマイルラボは,NECとFiNC Technologiesの共同開発による歩行センシングインソール「A-RROWG(アローグ)」の開発にも携わった。この商品は,靴に入れるだけで「歩容(歩行の質)」を計測し,歩行姿勢のチェックや歩行改善アドバイス,トレーニングメニューを専用アプリから確認できるというもので,これまでにFiNCが蓄積してきたヘルスケアのノウハウが使われている。また,正しい歩き方を継続することで,筋力維持,生活習慣病の改善,ストレス解消,認知症予防にも効果があるとも言われている。
伊藤氏:
昨今,健康寿命の重要性が盛んに取り上げられていますが,親に介護が必要になると,その子どもも大変になります。認知症の予防に繋がるサービス,特に靴のような普段から身に付けるものによって,健康的に歩くことができる時間を増やせたらいいなと。
ただ,プロジェクト当初はNECのセンサーしかなかったそうだ。伊藤氏はそのデバイスの特徴をヒヤリングしつつ,「どうやって専用アプリを作るか,パッケージ化してどう販売したらいいのか」という「商品企画」から模索していった。と言うのも,まさに靴の商品企画とインターネットサービスの双方に詳しい人,つまり伊藤氏のような人材がいないと実現できない商品性だったからである。
伊藤氏:
僕のいた当時から卑弥呼は足に良い靴にこだわっていて,インソールも販売していました。そのこだわりを学んでいたので,この企画の話があったとき,「これは靴に詳しくないと,専用アプリを作れない」と直感的に分かったんです。僕から「靴にはこういうニーズがあるので,2万円以下で販売したら普通に買う人はいますよ」とNECの方々とも議論させていただきました。
またアプリでグラフを表示することは,ほぼゲーミフィケーションなんですよね。歩行のさまざまな要素をスコア化することによって,点数が上がったりするとユーザー継続のモチベーションにも繋がると思います。
25年以上前にやっていた靴の商品企画ができて,この10年やっていたアプリ開発のノウハウも活かせて,さらに,アプリの画面デザインもできる。巡り巡って,“カセットビジョンJr.の道のり”も案外悪くなかったなと思った瞬間でした(笑)。
岸本氏:
ここで最初の会社の経験が活きるのは,驚きました。人生に無駄な経験などないんだなと改めて思います。素晴らしいRPGと同じですべての体験が人生の経験値アップに繋がるのです。
伊藤氏は,ヘルスケアにゲーミフィケーションを取り入れる理由を「人は困っていて必要なことか,やって楽しいことしか継続できない」と説明する。例えば「もっと運動しないといけないんだけど……」という口にする人はよくいるが,実際は健康診断に引っかかったり,「困った状態」と認識したりして初めて運動をすることがほとんどだ。そこで「FiNC」アプリのように「楽しい健康活動」を促すようなアプローチが必要というわけだ。
伊藤氏:
ヘルスケアサービスの設計が難しいのは,未病,つまり病気の手前の段階は“困っていない”状態が背景にあるということです。
そこで「FiNC」アプリでは“やって楽しい”に「利用体験」を落とし込むことに着目してます。これは完全にゲームの知見が活きる領域です。今やゲームの知見は教育などにも活かされていますが,ヘルスケア分野ではもっと活かせると考えています。
病気になってからでは遅いので,未病の段階で行動変容を起こさせることができれば,その人の健康生活がそれだけ長くなります。
よく言うのですが,痩せることが人生の目的である人はいません。痩せて好きな洋服を着たいとか,痩せてモテたいとか,痩せて健康的になって子供と一緒に遊びたいといったように,痩せた向こうに自分の求める希望があるんです。
ゲームにおいても練習のようなことを求められるケースがあります。でもそれが楽しいのではなく,練習によって上達することで,ほかのプレイヤーと楽しく遊べるようになるという目標があるはずです。これはヘルスケアと同じだと思います。そういった「向こう側」を表現できるようになれば,ヘルスケアサービスをもう少し変えていけると考えています。とくに小さい頃に行動変容ができると,大人になってもそれを継続できるという傾向がありますから,幼児教育にも注目していますね。
伊藤氏が面白いのは,今までのどんな仕事もトップの直下に組織を編成し,そのトップと直接やり取りしながらプロジェクトを進めている点である。そして何かを成し遂げると,また次の何かを実現するために別のところに向かっていく。そんな伊藤氏はスマイルラボを“中世の富裕層が抱えた画家の工房”に近いかもしれないと語る。
伊藤氏:
僕の中では絵を描くことと,ゲームやヘルスケアアプリを作ることは同義だと思っています。いずれにせよ,お金がないと何もできないので,作りたいものを伝えて資金を出してもらって作っているイメージです。
その都度,会社をゼロから起業すると出資の条件やスタッフ集めも時間がかかりますし,私はスマイルラボごとクライアント企業に”集団転職”しているイメージです。最近の言葉ですと「DXスタジオとして使っていただけませんか?」ということですね。
起業家を目指しているわけではないので「今,社会で必要なモノ,求められているモノ」を作りたい……もうちょっとシンプルに言えば「たくさんの人に喜んでもらえるモノを作りたい」と思っています。
岸本氏:
ゲーム業界の人達は,「自分の好きなことができるから,この業界にいる」と言ってしまいがちなんですが,これが世間で誤解されているんですよね。彼らにとっての好きなことというのは「人を楽しませること,喜ばせること」なんです。でも,人を楽しませるには,まず自分が最初に楽しむことを体験しないとうまくいかない。そこを省略して「好きなことをやりたい」と言ってしまうので,ほかの業界の人達から一緒に仕事ができるのかと疑問視されるわけです。
伊藤さんの言う「やりたいこと」も同じように利己的なものではなく,「新しい表現力をつくること」や「社会に貢献すること」です。ゲーム業界からほかの業界に転職しようという人は,そこに気を付けて自分のやりたいことを伝えると,うまくいくかもしれません。
取材の場では、さまざまな「やりたいこと」を挙げていた伊藤氏だが,2021年のスマイルラボでは「FiNC」のデータを使った育成ゲームなどを開発していくことを考えているそうだ。
伊藤氏:
スマイルラボでは,僕が言わなくともスタッフから「こっちのほうがお客様にとって良いのではないか」という提案をしてくれることが多いですし,僕よりお客様に詳しいんですよね。お客様と一緒に歳を取るということは,そういうことなんだろうなと思っています。しかしそうした環境を実現するには,長く続くサービスと長く就業してくれるスタッフが必要です。「そういう環境をどう継続して維持していけるか」という課題は十数年間ずっと考え続けています。
自分たちの作ったものが10年,20年,30年と,人々の生活や人生に良い影響を与えることは,売上を上げて会社を上場させることと同じくらい大きな目標になりえると思います。その意味ではNo.1でなくともオンリーワンでいいのかなと思っています。
岸本氏:
王道ではなくカセットビジョンJr.のような道を歩く伊藤氏の人生は大変興味深く,貴重なお話が聞けたと思います。
併せて印象に残ったのは,彼がスタッフ全員を引き連れて,ゲーム事業からヘルスケア事業に転身したことです。「ゲームのエンタメに関わっているクリエイターが,ゲーム分野以外で活躍できる可能性がある」ことを在籍スタッフに説明したそうですが,当初はスタッフも半信半疑だったそうです。しかし,ヘルスケアの開発をやっているうちに「ゲームでやってきたことがすごく役に立つんですね!」と言って喜んでくれたそうです。
単身で他業界の会社に転職してしまうと,ゲーム技術を活かす場面はあっても,仕事の進め方,会話の進め方,組織体制がゲーム業界と異なるそうです。そこを注意する必要があります。
ヘルスケアは,ゲームフィケーションを活用した「楽しみながら,自然に健康になっていく」という未来が見えてきましたが,ほかのサービスも同じく「楽しみながら、自然に○○が達成できる」ことが求められていくでしょう。その中で,ゲームの作りのノウハウの活用は,どんどん広がっていくと今回のインタビューで改めて実感しました。
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