連載
ジャンクハンター吉田のゲームシネシネ団:第18回「殺られる前に殺れ! 殺人カーレース『デス・レース』が襲来!(その1)」
さて,そんなわけでこれから数回にわたって,(シネマゲームならぬ)ゲームシネマ界のトップランナー,アンダーソン監督本人と「デスレース2000」から影響を受けたバイオレンス・カーレースな,“デスレース・チルドレン”とでも言うべき作品群を掘り起こしてみよう。
まずは,アンダーソン監督自身が,実写映画版「モータル・コンバット」で脚光を浴びるまでの時代をクローズアップ!
1990年代末まで,アンダーソン監督の表記は“ポール・アンダーソン”であった。しかし,ポール・トーマス・アンダーソン監督と混同されがちだったことから,ミドルネームも含めたポール・W.S.アンダーソンを名乗るようになった。ちなみにWはWilliam,SはScottだから,本名はポール・ウィリアム・スコット・アンダーソン。メチャメチャ長い名前である。
そんなアンダーソン監督は,1965年3月4日にイギリス北部のタインアンドウィア州ニューキャッスルで誕生した。しつけに厳しい両親の目を盗み,少年時代からSFやホラー,格闘アクションなどの映画を好んで観賞し,とくにSF映画では「エイリアン」シリーズが大好きだったらしい。やがてアンダーソン監督は,映画業界を目指して映画製作コースのある名門ウォーリック大学へ進学。ここで経営学を学びながら映画研究と文学研究の学士号を取得し,1986年に卒業した。
ニューキャッスルへ戻ると,地元の人々からバックアップを受けて映像製作を主軸にした組合を発足させる。映像製作の現場で数々の実践経験を積み,素早い編集技術が注目を集めるようになると,目指していたはずの映画業界よりもテレビ業界から多くのオファーが届き始めた。ドラマやドキュメンタリー番組を中心に,脚本と演出の双方をこなしていく過程で,「The Spiral Cage」「Speed」といったドキュメンタリー番組でいくつかの賞を獲得。こうした受賞歴が功を奏し,劇場用長編映画を監督するチャンスが舞い込む。
アンダーソン監督と仕事を通じて付き合いのあったChannel Four Televisionが,スポンサーとして名乗りを上げたのだ。
これを受けたアンダーソン監督は,親友のジェレミー・ボルトと1992年に制作会社Impact Picturesを設立。1993年には,無名時代のサディ・フロスト,ジュード・ロウ,ジョナサン・プライス,ショーン・パートウィー,ショーン・ビーンを起用した初の長編映画「ショッピング」を,Channel Four Filmsとの共同製作で完成させた。
ところが,荒廃した近未来のイギリスを舞台とした,不良の若者達による過激な群像劇的内容が,保守的なイギリス映画業界では問題視され,上映禁止という羽目に……。
そんないわく付きのショッピングだが,1994年秋には日本で開催された第7回京都国際映画祭のヤングシネマ・コンペティションで上映されている。このとき来日したアンダーソン監督は,宮崎 駿監督のジブリアニメに初遭遇し,大ファンになったらしい。さらに,秋葉原へ買い物に出かけ,日本のゲーム市場の活気を目の当たりにしたという。
残念ながら京都国際映画祭での受賞はならなかったものの,上映後に若者達の間でカルト的な人気が高まり,こうした評判がきっかけとなって,1995年にアメリカで開催されたサンダンス映画祭では特別招待作品として上映され,注目を集めた。
その後,ショッピングは全米で大幅カット&再編集されたバージョンがビデオのみでリリースされ,本国イギリスでもビデオリリースはされたものの18禁扱いという悲しい結果に。
ところが,京都国際映画祭以前に海外市場へ売り出すべく,American Film Market(AFM)に出品されていたショッピングには,New Line Cinemaが目を付け,その斬新な映像センスを評価。結果,同社が制作する,対戦格闘ゲーム「モータル・コンバット」を原作とした実写映画,モータル・コンバットの監督に,アンダーソン監督が抜擢されることとなった。
さて,このモータル・コンバットは,ゲームを題材にした実写映画として,史上初めて大成功を収めたエポック・メイキングな作品でもある。
New Line Cinemaは300万ドルまでしか制作費を出さないという条件を提示していたのだが,アンダーソン監督にとってこれは,ショッピングの倍以上の予算ということもあり,得意の早撮り&編集技術を駆使すれば,余裕を持って制作できるだけの予算と映ったそうだ。実際,アメリカ,イギリス,ハンガリー,そしてタイと4か国もロケで回ったことで,「どうせ予算オーバーだろう」と見られていたが,結果的には予算はおろか撮影日数も決められた範囲内で収まり,ハリウッドのスタジオ側からの信頼を獲得することにも成功したという。
なお,New Line Cinemaからアンダーソン監督へのオファーには,「ビデオゲームのファンが劇場に足を運ぶので,間違っても映画版『ストリートファイター』のように,ゲームの世界観を損なう作品にだけはしないでほしい」という内容も含まれていたそう。これに対してアンダーソン監督は,「波動拳の出ない作品のように,ゲームファンをガッカリさせるような映画は決して作りません!」と力強く断言したらしい。
が,実はアンダーソン監督はそれまで,ゲームに熱中したことがあまりなかったというのだ。そこでアンダーソン監督は,寝ても覚めてもゲーム三昧の日々を送り,モータル・コンバットの世界観を勉強。コスチュームからキャラクターの持つ雰囲気に至るまで,実写映画化に向けた研究を積み重ねたのである。
正直,ストーリー自体はたいしたことない……というか,映画の中で重要な要素ではない。しかし,グリーンバックでの合成やらCGを使っての光線技やらは,ゲームをそのまま映画化しようとしていること自体が笑えるし,映画「ストリートファイター」との差異を浮き彫りにしようという姿勢にはシンパシーを覚えたものだ。
キャスティングでは,アンダーソン監督が映画「ハイランダー」を観て以来,一緒に仕事をしたいと思い続けていたというクリストファー・ランバートをライデン役に起用したほか,プライベートで武道や格闘術を嗜んでいるケリー・ヒロユキ・タガワを敵ボスに配役するなど,なかなか通好みなものとなっている。
音楽に関しては,ゲームとテクノミュージックの相性の良さをヒントに,映画でもテクノミュージックを大胆にフィーチャーしたところ,見事な融合に成功。サントラが好調な売り上げを記録したことも,特筆すべきポイントだろう。
ドブ漬けゲームスープレックス(18)
Xbox360
「グランド・セフト・オートIV」(カプコン)
4月末にアジア版を購入してプレイしていたんだが,セーブデータをメモリユニットに移動するときにミスってデータを消してしまってから,ずっと日本語版の発売を待ち望んでました! というわけで早速遊んでます,Xbox 360版を!
久々のプレイだったのでマップすら覚えておらず,苦肉の策でいきなりオンラインのマルチプレイへ飛び込んで,フリープレイで意味もなく車やバイクで走り回ったり,空港へ行ってヘリコプターに乗って,リバティーシティ全体像を頭に叩き込むところからスタートしたのだが,問題が発生。
オンラインで遊んでいたら1人用のストーリーモードをやるのが,おっくうになってしまったのだ。知らない人たちとカージャックして4人で相乗りしながら警官隊と意味なく銃撃戦を繰り広げたり,懐かしの「デストラクション・ダービー」のように車をぶつけあって戦ったりの繰り返し。このままでは目的も目標もないままリバティーシティーの住民になってしまうのでは? という懸念が。しかし,オンラインで世界中のGTA4プレイヤーと遊びながら,無駄に時間を費やしていくのも,それほど悪くないような気も……。
際限なく満喫したいんだけど,仕事もしないとなぁ。
「グランド・セフト・オートIV」公式サイト
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グランド・セフト・オートIV
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