レビュー
今また「映画のようなゲーム」の是非を問う?「メタルギア ソリッド 4」レビュー
» 読者の皆さんがその存在を忘れかけそうな頃にいきなり掲載する不定期連載「極私的コンシューマゲームセレクション」だが,前回に引き続き,今回も編集部随一(?)のコンシューマっ子であるTAITAIが執筆。今回は,満を持して発売されたPLAYSTATION 3専用タイトル「メタルギア ソリッド 4」を紹介する
“映画のようなゲーム”を言葉通り体現してみせた
「メタルギア ソリッド 4」
“映画のようなゲーム”という言葉を聞いて,読者の皆さんはどんなタイトルを連想するだろうか?
古くは,「ファイナルファンタジー VII」や「バイオハザード」など,PlayStation全盛時代のタイトル,あるいは映画という言葉からはちょっとずれるが,「サンダーストーム」などのレーザーディスクゲームを思い浮かべる人もいるだろうか。近年でいえば,「Call of Duty」シリーズや「Gears of War」などといったFPS/TPS類が連想されるかもしれない。
一時期は,批判的な枕言葉として使われていたこともある,この“映画のような”というフレーズ。しかし,ゲーム機の描画能力が飛躍的に向上したここ最近を振り返ってみると,この枕言葉が,逆に「良い意味」で使われることが多くなったように思えるのは,筆者の気のせいというわけではないだろう。
すでにご存じの読者も多いだろうが,MGS4は,敵に見つからないように隠れながら進む「ステルス・アクション」というジャンルを世に広めた「メタルギア」シリーズの最新作。いまや世界で最も知名度の高いゲームクリエイターの一人となった小島秀夫氏(以下,小島監督)が制作を手がける本作は,小島監督が20年にわたって描いてきた「メタルギア ソリッド・サーガ」の最終章として,4年の制作期間を経て,満を持して発売されたタイトルである。
ゲームの舞台となるのは,戦争がビジネスとなってしまった(まぁ戦争自体には,昔から経済的な理由が付き物だが)近未来の地球。経済的合理性を追求した結果,戦争が国家主体のものから民間企業主体のものへと変質し,PMC(Private Military Companies)と呼ばれる民間軍事企業が台頭,彼らが経済を席巻しているという世界である。そんな情勢の中で,プレイヤーは,伝説の英雄「ソリッド・スネーク」に扮して,単身で敵地に潜入。さまざまな武器やアイテムを駆使しつつ,与えられたミッションをこなしていく。
さて,ゲームの細かいシステムの紹介などはあとに回すとして,筆者が本作を遊んでみてまず最初に考えたのが,冒頭でも触れた“映画のようなゲーム”という言葉の再評価だろう。端的にいえば,このMGS4という作品を遊んだ結果,「映画のようなゲームって本当に駄目なのだろうか?」という疑問を,筆者は今更ながらに抱いてしまったのである。
先に触れておきたいのだが,誤解を恐れず言わせてもらうならば,MGS4は,近年稀に見る「ムービーゲー(※)」だといえる。筆者の総プレイ時間は実質16時間程度なのだが,その約半分がムービーシーン(とはいってもリアルタイムCGなので,正確には“デモシーン”だが)だったといえば,その程度のほどが伝わるだろうか。文字どおりの映画的な手法,あるいは演出を駆使しながら,本作では,メタルギアという物語がこれでもかと“語られ”ていく。
※念のため補足しておくが,MGS4のゲーム部分がおざなりになっているという意味ではない
4Gamerを読んでいるようなゲーマー,その中でもとくに「Call of Duty4」などを好むようなFPS系のゲーマーなどは,この説明を読んで「ええっ!?」と二の足を踏んでしまうかもしれない。ちなみに筆者も,どちらかといえば「ゲームは動かせてナンボ」という思想の持ち主であって,いわゆる「映像重視」のゲームには,基本的には否定的だ。しかしそんな筆者をして,MGS4は,間違いなく面白いと感じさせる作品であった。最先端のデジタルエンターテインメントとして,本作は問答無用に良くできているのである。
映画のようなゲームを遊ぶくらいなら,映画を観たほうがよい!
このような話は,筆者の周りでも良く聞く言葉である。けれど,ゲーム自体の映像品質が映画に追いつき,あるいは映画を追い越してしまったとき,それは果たして「映画のようなゲーム」と言って良いものなのだろうか。MGS4は,プレイヤーにそんな疑問を抱かせる。
現在,任天堂のWiiやニンテンドーDSの躍進の影響もあってか,ゲーム業界内(とくに日本の)では,「大作志向」……言い換えれば「高品質なグラフィックスを駆使したゲーム」に対する視線は否定的である。ハイエンド志向のゲーム機が伸び悩む中で,多額の開発費が必要な大作は,ビジネス的なリスクが高すぎるというのがその理由。人員と労力を投入してコア向け(つまり少人数向け)の作品を作るのはどうなのか? という議論があるのだ。
しかし,考えてほしい。高品質なグラフィックス……要するに「綺麗なグラフィックス」とは,そもそもコア向けの要素だったのだろうか? それこそ約10年前,3DCGが脚光を浴び始めた時代などは,綺麗なグラフィックスこそが「ライト向け」の要素として定義されていなかったか。現世代機のゲーム機戦争が激化するなかで,綺麗なグラフィックスがライト向けからコア向けの要素へと変質していってしまったのはなぜなのだろうか?
ゲームレビューという意味ではやや横道に逸れてしまうが,本記事では,MGS4の話を主題にしながら,映画のようなゲームの是非,あるいはゲームにおける綺麗なグラフィックスの意義を考えてみたいと思う。
隠れて進むもよし,暴れ回るもよし? 「戦場が」舞台となる今作
冒頭でも触れた通り,本作は,世界的なブランドであるメタルギアシリーズの最新作。敵に見つからないように隠れながら進んでいく,いわゆるスニーク物(潜入物)と言われるジャンルの本作は,潜入物ならではの緊張感あふれるゲームプレイ感覚が売り。ただ今作では,敵味方入り乱れる「戦場」が重要なテーマの一つとなっており,場面によっては,激しい銃撃戦が繰り広げられるのも大きなポイントである。
ゲームシステムは,前作「メタルギア ソリッド 3 スネークイーター」のそれをベースとしながらも,操作方法がTPS(サード・パーソン・シューター)的なものへと昇華。より直感的な操作でスネークを操れるようになったのは,プレイヤーとしては素直に嬉しいところだ。また無線通信による演出や,洒落の聞いた小ネタ,アイテムの数々などなど,シリーズの伝統ともいえる要素はもちろん健在で,とくにゲームの端々で思わずニヤリとしてしまうようなネタの数々は,制作者である小島監督の茶目っけを感じさせる部分でもある。
ゲームの流れは,ゲームパートとムービーパートを交互に繰り返すという従来のスタイルを踏襲。今作におけるムービーシーンは,PLAYSTATION 3の描画能力を活かして,ほぼすべてリアルタイムレンダリングで描かれている点が大きな特徴なのだが,それによってゲームからムービー,あるいはムービーからゲームへの移行が,ほぼ完全にシームレスになっているのは,間違いなく本作の見どころの一つだろう。このシームレスさを,演出的にも非常にうまく使いこなしている印象で,プレイヤーの没入感を高めるエッセンスとして機能している。
また先ほど,大まかなシステム自体はMGS3のものをベースにしていると書いたが,MGS3であった「カムフラージュ」の要素などは,本作では「オクトカム」と呼ばれる新機能に置き換えられている。オクトカムとは,タコの擬態にヒントを得て作られた迷彩スーツのこと。プレイヤーが一定時間動かないでいると,自動的に周りの背景に合わせたカムフラージュを施してくれるという優れものだ。MGS3では,草むらから出たりするたびにいちいちカムフラージュを変えたりしないと迷彩効果が落ちてしまうなど,いろいろ面倒な部分もあったのだが,オクトカムは,そんな煩わしさを廃して,カムフラージュの要素だけをうまく残したシステムだといえる。
ほかにも,初代「メタルギア ソリッド」からの登場キャラであるオタコン(ハル・エメリッヒ)が開発した「メタルギア Mk.II」を使って偵察やいたずらが出来たり,戦場に落ちてる武器(戦っている兵士達が落とした)を拾い集めて武器商人に売り払ったりと,ゲームパートでプレイヤーがやれることはいろいろと多い。ストーリー重視と言われる本シリーズではあるが,こういったゲーム部分の自由度の高さを維持し続けているところなどが全世界で支持を受け続けるゆえんといえるだろう。
凄まじいまでのクオリティを誇るムービーパートを
どう評価すべきか
ただ,繰り返しになるが,本作はメタルギア・サーガの最終章である。20年にわたって散りばめられた伏線や謎を,ファンが納得する形で説明していく必要があるのだ。言ってしまえば「大きく広げた風呂敷」をたたみ込むためにも,シナリオ部分……つまりはムービーパートの割合を増やさざるを得なかったのは容易に想像がつくところだ。
もちろん,ムービーの出来がいくらよくても,ゲーム部分がおざなりでは問題外だろう。しかし,MGS4に関していえば,そうではない。シームレスにゲームパートとムービーパートを行き来するシステムひとつをとっても,本作におけるムービー部分は「ゲームと一体化」している要素だとは言えないだろうか。そのあたりをあれこれと考えていくと,長大なムービーが必要であったかどうかは,筆者としては,やはり「必要である」と結論せざるをえないのである。
問題は,もはや「ゲームにおけるムービー」の存在自体の是非ではなく,そのムービー(シナリオ)が面白かったかどうかで語られるべきではないかと思う。そしてその面白いかどうかでいえば,本作のムービーパート(シナリオ)は確実に面白いし,凄いのである。
「凄い映像」とは誰向けのものなのか
ハイエンドゲームの是非を考える
「MGS4は本当にコアゲーマー向けのゲームなのか?」
という違和感だ。別にMGS4が「ぬるいゲームだ」という話をしているのではない。もっといえば,例えば「Call of Duty 4」(以下,CoD4)のような演出重視のFPSなども,本当に“コア向け”のゲームなのだろうか? というさらに根の深い(?)疑問でもある。
確かにMGS4は,緻密な世界観や複雑な人間関係など,決して軽いノリだけで楽しめる作品ではない。潜入物というテーマにしても,人を選ぶ題材であることは間違いないだろう。しかし,MGS4が取った手法……要するに「凄いグラフィックス」や「映画的な演出」という方向性自体は,一概に「コア向けの要素だ」とはいえないのではないだろうか?
前述のように,ゲームにおけるグラフィックスの進化というのは,ある時期まで「ライトゲーマー向け」という側面を強く持っていたのは確かである。曰く「ゲーム性は,雑誌やテレビなどのメディアでは伝わりにくい」「素人目にも分かりやすい,グラフィックスを重視するほうが売り上げが伸びる」というような話だ。少なくともスーパーファミコンからプレイステーション初期の時代というのは,こういった議論が各所であった。
「ゲームにおけるムービーの是非」という議論の中心にあった「ファイナルファンタジー VII」にしても,決してコアゲーマーを意識した結果ではなく,ライトゲーマーを重視した結果として,グラフィックス重視(積極的なムービーシーンの盛り込みなどを含む)への道を歩んでいったのではなかったか。
考えてみれば,「凄いグラフィックス」に対するモード(価値観)が明確に変化したのは,ハードウェアメーカーが「ハイデフ」をアピールし始めたあたりからだったような気がする。凄い「映像」から,凄い「画質」へ。微妙ではあるが,大きな質的な違いが,その辺から目立ち始めたように思えるのだ。まぁ,とくに確証となるデータがあるというわけではないので恐縮なのだが。
また,凄いグラフィックスを享受するためのコストが飛躍的に高くなってしまったというのも,グラフィックスに対する価値観が変質する大きな要因だっただろう。例えば,初期のプレイステーションの本体価格は,約4万円と決して安いものではなかったが,逆に言えば,それさえ買ってしまえば,家の「今あるテレビ」につなぎ替えるだけで,新しい機能/性能をフルに享受できた。しかし,高画質/高音質を謳った現世代機は,ゲーム機以外の機材にも刷新を求めた。映像を楽しむにはハイビジョン対応のテレビが必要だし,5.1chのサウンドを聞くには,ホームシアターかそれに準じるシステムがなければいけない。事実,筆者はXbox 360を買うときにテレビを新調したものだ。
HDテレビなどといった高価なAV機器が別途必要なゲーム機だということは,要するに,高校生などが自分の部屋にあるテレビで十分に楽しめるゲーム機ではないと言い換えることができる。全てをMaxで利用するためにはそれに見合った投資が必要であるし,一般的な学生にはそこまでの環境を買い揃えられるはずもない。何が言いたいかというと,「ゲームのためにお金を掛けられる」人だけが,お金に見合った「凄いグラフィックス」を楽しめるということだ。
本記事の冒頭で,高性能据え置き機向け(≒ハイエンドグラフィックス)のゲームが,「コア向け」とカテゴライズされてしまっていると書いたが,それはこういったところにこそ原因があるのではないか。「綺麗なグラフィックス」に対する価値観がコアに向けられている理由は,ゲームの内容というより,どうもこの辺り(ゲーマーを取り巻く環境)にあるように思えてならないのだ。
しかし,ハイビジョンテレビが普及し始め,それが「当たり前」になったとき,グラフィックスに対する価値観は,どうなっていくのだろうか。ゲームを買うとき,ユーザーが支払うコストが同レベルであるならば,昔がそうであったように,単純に「綺麗なほう」を選ぶのではないだろうか。もちろん,グラフィックスに対する価値観は今後さらに下がるかもしれないし,開発側の視点に立って見れば,凝ったものを作ろうとするほど,開発費が膨大なものになっていくという問題点もあるのだが。いろいろと疑問は尽きないところである。
いずれにせよ,そういう意味において,筆者はMGS4がむしろ「ライトゲーマー向け」の作品だと感じるわけなのである。「ライトゲーマーに見せたい」ゲームだと言い換えられるかもしれない。本作は,あまりゲームを遊ばない友達や彼女,あるいはお父さんやお母さんに「最近のゲームは凄いな!」と言わしめる,大衆向けの逸品ではないかと思うのだ。
一人称的演出と,三人称的演出の違いを考える
なんだかMGS4の話からはずいぶん脱線してしまったような気もするが,最後に,少しだけ海外のFPS/TPSについて話をして終わりにしたい。
というのも,日本では,FPSというと,とにかく「コアゲーマー向け!」というステレオタイプで語られることが多いジャンルなわけだが,筆者としては,昨今の名作として挙げられるCoD4などは,「大衆向け」のゲームだったと認識している。ライト向け,カジュアル向けと書くと語弊がありそうなので,あえて「大衆向け」と書いたが,要するに「いろんな人が遊んでも楽しめる要素を内包したゲーム」という意味だと捉えてほしい。
そんなCoD4の最大の魅力とはなにか? それは間違いなく「演出」にある。戦場の雰囲気,目の前で起こる手に汗握るイベント……作り手側が用意したギミック(演出)をユーザーが享受するタイプのゲームという意味で,実は,MGS4とCoD4の根本的な方向性は,ほとんど同じものだといえる。その演出の見せ方が「一人称」か「三人称」かの違いでしかないのだ。
三人称的な演出は,映画をはじめ,既存のメディアでも行われていた表現方法である。そういう意味では,一人称的な演出のほうがより「ゲーム的」もしくは「ゲームならでは」と言えるのかもしれない。では,一人称的な演出のほうが「上」なのだろうか? 少なくともCall of Dutyシリーズでは,スネークのような人気キャラクターは現れていないし,メタルギアシリーズの人気の源は,三人称的な演出にこそあるのではないか。
アクションゲームは,世界的に見て最も競争が激しいジャンルである。そんな激戦区において,なぜメタルギアシリーズが世界的な人気を獲得していけたのか。筆者としては,そんなところにも思いを寄せずにはいられない。
奇しくも本作の特設ページにて,アニメ監督の押井守氏が,ハリウッドなどとの差別化を計る意味で,日本のアニメーションは独自の様式……つまりは「秘術」を会得しなければならないという趣旨の話をしている。要するに,ピクサー・アニメーション・スタジオのような方法論を日本のスタジオがそのまま真似ても,勝ち目はないのだという話だ。
この点,MGS4はどうだろう。MGS4は「どんなゲーム」だといえるだろうか。アクション? FPS? それともアドベンチャー? ……いや,MGS4はまさしく「メタルギア」というジャンルではなかったか。MGS4は,欧米産のFPSともTPSとも違う,独自の様式(秘術)を実現して見せたタイトルではないだろうか。
日本のゲーム業界内では,世界マーケットへの取り組みの重要性が叫ばれて久しいわけだが,KONAMI……というか小島監督が出した結論という視点で本作を捉えてみると,非常に興味深いものがある。海外で売れるタイトルを作るためには,海外のやり方に迎合するべきなのか,それとも自分たちのスタイルを昇華させるべきなのか。本作が,日本のゲーム産業にとっての一つの試金石となるのは確かだろう。
……え? 「結局,MGS4は面白いのか」だって? 少なくとも,日頃PCゲームばかりに関わっている筆者がこんなに「ゲーム語り」をしてしまうほどに,魅力を持った作品であるのは間違いない。ゲームの最先端を見るという意味でも,本作は,是非いろんな人に遊んでみてほしい作品である。
「メタルギア ソリッド 4」公式サイト
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メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット
対応機種:PLAYSTATION 3メーカー:KONAMI
発売日:2008年6月12日
価格:8800円/スペシャルエディション9800円(ともに税込)
CEROレーティング:D(17歳以上対象)
公式サイト:http://www.konami.jp/mgs4/
(C)1987 2008 Konami Digital Entertainment Co., Ltd.
- 関連タイトル:
METAL GEAR SOLID 4 GUNS OF THE PATRIOTS
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