連載
『オリエンタル・デスポティズム 専制官僚国家の形成と崩壊』
著者:カール・A・ウィットフォーゲル
訳者:湯浅赳男
版元:新評論
発行:1995年1月(通常版は1991年1月)
価格:8400円(税込)
ISBN:978-4794802415
ひさびさに大部の書籍を紹介しよう。カール・A・ウィットフォーゲルの『オリエンタル・デスポティズム 専制官僚国家の形成と崩壊』だ。名前から分かるとおり,マルクス以前からの「東洋的専制」論を批判的に継承し,発展させたのがこの本である……とか書いていくと,なんでそんな本を読まねばならんのかと,いぶかしむ読者も多いだろう。だがこれが,ほぼすべての歴史ゲームに関連する,有益な示唆を含んでいるのである。
国家/社会の発展順というと,我々は近世/近代以降におけるヨーロッパの発展過程を典型と捉え,古代(奴隷制の大帝国)→中世(封建制)→近世(絶対王政)→近代(国民国家)といったコースがスタンダードだと思いがちだ。だがウィットフォーゲルは,マルクス/エンゲルス/レーニンが当初関心を持ち,途中で(意図的に)放棄した東洋的専制国家のインパクトを,前近代において極めて重要なものと見なし,世界の文明と時代の移り変わりを,東洋的専制を核に解析してみせた。
よく知られているように,東洋的専制が生まれたのは大規模灌漑農業,すなわち運河の建設とメンテナンスの必要性からであり,彼はそうした背景を持つ社会を「水力社会」と呼ぶ。その世界的に見た中心地はご存じメソポタミア,中国,インド,エジプトで,同様の権力基盤は新大陸にも広く見いだせる。そこで成立した専制は,地域と経緯によって異同はあれど,強固な官僚制による全土の一律支配,全国民を対象とした租税と賦役,広汎で大規模な徴兵と完備した駅站/諜報システム,私的土地所有の不在(これには大きな例外もある)などを特徴とする。
ウィットフォーゲルの分析の優れたところは,こうした水力社会を地図と時間軸の上に据えて,その周囲の地域が水力社会の特色を取り入れたり,巻き込まれたりしている様子を,地理的/時間的にきちんと連続させて叙述したことだ。
水力社会の重要な特徴は,農業生産力の高さである。ハンザ同盟の中心都市だったリューベックの人口が,たかだか2万3000人,ロンドンで3万5000人だった14世紀後半,水力社会に属するムーア人の西方カリフ帝国の首都コルドバは100万の人口を擁していたという。その圧倒的に高い人口維持能力だけを見ても,水力社会を中心に当時の勢力地図を見る発想の正しさが分かる。
彼の見解によれば,水力社会の周囲には水力的要素に強く影響された「周辺」が,そのまた外側には部分的に影響された「亜周辺」が展開する。ヨーロッパ近辺に例をとると,中東から中央アジアにかけての水力社会との接触/領土的吸収を通して,民主制後期以降のローマは「周辺」から,やがて水力社会そのものとなっていく。版図がオリエント地域まで広がれば,水力社会を内側に含む形になるのは当然だが,重要なのはそこで受けた影響がローマ全体に還元され,また東ローマ帝国はさらに水力社会の方向へと傾斜していったことだ。
そんなローマの外側にある西ヨーロッパは「亜周辺」と位置付けられる。ここには部族社会の名残が強く残り,水力的要素は部分的にしか取り入れられなかった。ゲルマン人による征服で成立した国々が,ごく限られた王権と直轄領,双務的主従契約から成る封建社会,つまりかなりの程度諸侯の寄り合い所帯に留まったのは,ひとえに水力社会の影響が弱かったからだという。つまり,封建社会は別に必然的な進化方向ではなく,単に水力社会化が中途半端だった結果にすぎないのだ。
だが,水力社会的な単一中心社会が成立せず,多数中心社会に留まったことが,結果としてヨーロッパを次の時代を担う勢力に押し上げる。国家から独立した教会の権威,身分制の成立=政治勢力化,強固な私有財産制に裏付けられた商業資本の発達などが,さまざまに関係を組み替えながら絶対王政を生み出し,近代国家へと進んでいく。
逆に東洋的・水力的社会は,その圧倒的な安定性のために本質的な変化を経験しないまま,力をつけた資本主義とヨーロッパ的国民国家に打ちのめされる。これが植民地時代に起きたことである。
ウィットフォーゲルは同じ見方で全世界を捉え,東アジアでは中国を水力的中心,日本を亜周辺と位置付けている。これはたいへん示唆的な指摘で,「日本になぜ武家社会が成立したか」「なぜ中国には明確な中世的特徴を備えた時代が見いだせないのか」に対する,冴えた解答となっている。明治以降繰り返し論じられた西欧中世と日本中世の相似形という謎は,近代日本の願望でもあったがためにいろいろ物議を醸す部分も多かったのだが,両地域が水力社会の亜周辺という共通の条件下にあったことに注目すれば,割とすっきり解けるのだ。
そう考えたとき,「三国志」と日本の戦国時代を似たような英雄史観で描く作品が日本のPCストラテジーゲームシーンで先行したことは,一面で大きな不幸だったと言わざるを得ない。俸禄ルールを入れようが,国単位の委任統治ルールを入れようが,戦国武将を国家官僚のように描くのは根本の部分で間違ったモデル化手法である。歴史学の最先端の話題はともかくとして,ここまでのPC日本史ストラテジーゲームに大きく欠けているのは,封建社会シミュレータとしての全体的システムだ。
元がドイツ語の翻訳書に特有の読みづらさと,誤植の多さは少々気になるし,後半の中心的な話題であるロシア/ソビエトの東洋的性格をめぐる論争史(というか論争回避の経緯)については,1957年にこれが書かれたことを考えると実に興味深いものの,さすがにアウト・オブ・デイトな気がしないでもない。それでも,歴史と文明の形に興味を持つゲーマーなら,ぜひ押さえておきたい一冊である。
革命の可能性に飛びついた,レーニン若気の至り。
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