「Wii U」や
「PlayStation Vita」などの最新コンシューマゲーム機が,来場者のみならず,世界のゲーム業界を大いに沸かせた2011年のE3。どちらのハードも,一世代前には考えられなかったほどの劇的な進化を遂げている。
そんな最新のコンシューマゲーム機に,実際に触れることができた今回のE3だが,その一方で,ここに至るまでの約半世紀におよぶビデオゲームの歴史を,実機に触れて知ることができるという,オールドゲーマーにはたまらないブースが,E3のサウスホールの一角に設けられていた。
HDの大画面液晶モニターが主流の2011年のE3にて,多数のブラウン管モニターが並ぶ奇跡。貴重なビンテージ機ながら,その一部はなんとプレイアブル展示されている
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“VIDEOGAME HISTORY MUSEUM”と銘打たれたこのブースは,北米の3人の有志によって設立された組織による企画展示で,自らが所持する2万点以上のコレクションや,25年以上のゲームに関する各種アーカイブの一部を,実際に手に取れる形で展示し,彼らが将来的に計画しているビデオゲーム博物館のイメージを来場者に伝えるというものになっている。
ここ数年のE3でも,彼らによる同様の展示が行われていたのだが,今回“故きを温ねて新しきを知る”的な意味合いも込めて,このコーナーに展示されていた昔のコンシューマゲーム機や各種展示物を,ひと言コメントと共にお届けしよう。
なお展示物の名称などについては,日本で正規に発売されたものについては日本名で,発売されていないものについては,展示物に添えられていた解説パネルにある名称を表記している。
また内容については,パネルの説明と筆者が独自に調査したものをまとめたものだ。もちろんここに紹介しているもののほとんどは,現在販売されていないものなのでご了承のほどを。
数々の伝説を作り出したAtari VCSなど,一部のコンシューマゲーム機はカセットを自由に交換して楽しめるようになっていた。電源を切ったときの画面の砂嵐も,オールドゲームファンには懐かしい |
国内ではPCエンジンの名で知られる,NECから発売された北米版「TurboGrafx-16」。これは1989年8月に発売された初代のもので,初代PCエンジンよりもサイズが大きく,後部のExpantion Portを保護する大きなカバーがついているのが特徴 |
1993年に日本でのみ発売された,パイオニア製の「レーザーアクティブ」。PCエンジン,またはメガドライブの専用パックをセットすることで,それぞれのゲームと専用のLD-ROMゲームがプレイできた。本体が8万9800円,各コンシューマゲーム機のパックがそれぞれ3万9800円と大変高価だ |
セガの名機「セガサターン」は,北米では1995年5月の発売に。グレーや白などの本体カラーで展開された国内版に対し,北米版はGENESIS(北米版メガドライブ)から受け継ぐ黒い本体がクールな印象。右に見えるのは国内では「マルコン」こと「3D Control Pad」だ |
1994年からセガサターンとシェアを争った,SCE製メガヒットコンシューマゲーム機「プレイステーション」。画像のアナログコントローラ「デュアルショック」は1997年に発売され,現在のPlayStation 3まで,ほとんど変わらない形状で受け継がれている |
セガの北米版メガドライブ「GENESIS」。国内では任天堂ハードに水をあけられていたが,北米では2000万台の大ヒットを記録している。日本のメガドライブと比べ,本体上面にある金色の“16-BIT”の主張がやや控えめ。ソフトのリージョンはカセットの形状で区別していた |
北米版のスーパーファミコン「Super NES」。やたらとエッジが利いた大きめの本体と,グレーと紫のシックな配色が特徴。カセット挿入口の近くにあるロゴマークから,現地では“SUPER NINTENDO”の愛称で呼ばれた。ちなみにヨーロッパ版SNESは,国内版と同じ形をしている |
セガ最後のコンシューマゲーム機「ドリームキャスト」。モデムの標準装備やデータ保存用のメモリにゲーム機能を付随するなど,革新的な試みが盛り込まれたが,後発のPlayStation 2の勢いに押され,国内外ともに苦戦した。写真の黒白ツートンの本体は見たことのないカラーだが,カスタム品だろうか? |
日本・北米ともに1996年に発売となった「NINTENDO64」。3DSでリメイクされる「ゼルダの伝説 時のオカリナ」や「スターフォックス64」は,このゲーム機発のタイトルだ。写真のカラーバリエーションは,トイザらス専売のミッドナイトブルーだが,北米でも発売されていた!? |
1977年に発売されたAtariの「Atari 2600」。別名Atari VCS(Video Computer System)。カセットによるゲーム交換をいち早く取り入れた名機だが,ソフトの粗製濫造による市場崩壊“アタリショック”を引き起こした機種でもある。日本ではエポックが「カセットテレビゲーム」の名で輸入販売していたこともある |
1982年にMagnavoxから発売された「Odyssey2」。カセット交換式のゲームにキーボードを装備した,当時流行りだった“ゲームパソコン”の一つだ。日本ではフィリップスが輸入販売を行っていた。ちなみに名称の「2」は,パート2ではなく“2乗”という意味らしい |
セガ・マークIIIの北米版「Sega Master System」。1986年6月発売。翌年逆輸入のような形で,仕様に若干の変更がなされたバージョンが日本でも発売となった。日本や北米よりも,ヨーロッパやブラジルなどでヒットしたという珍しいコンシューマゲーム機だ |
北米GCEより1982年に発売されたモニター一体型のコンシューマゲーム機「Vectrex」。国内ではバンダイから「光速船」として発売されていた。ドットを線で結んで描画する独特のベクタースキャン映像にはファンが多い。ライトペンや3Dメガネなど,当時としては斬新な周辺機器も存在する |
1990年にSNKから発売された「NEO-GEO」。写真の展示物は,アーケード版のMVSカートリッジも使用できるようにカスタムされた製品で,さらにコンポーネント出力にも対応している |
任天堂のファミコンは,北米では「Nintendo Entertainment System(NES)」の名で1985年10月に発売された。前述のSNES同様,やたらと存在感のある角張った本体が特徴。ファミコンと違い,2つのコントローラは取り外し式の共通のもので,IIコンのマイクがない |
Colecoが1982年に発売した「ColecoVision」。ファミコン以前のコンシューマゲーム機としては比較的遊べるソフトが多く,任天堂やセガ,ナムコのタイトルも数多く移植され,現在も根強いファンが存在している。コントローラにあるダイヤルのような部分は実はジョイスティックだ |
Mattel製コンシューマゲーム機「Intellivision」。北米で1980年に発売され,ソフトだけではなく,数々の変わり種な周辺機器もリリースされ人気を博す。2年後にバンダイが「インテレビジョン」として日本でも発売。現在はXbox 360のGame Roomで,Atari VCSとともに一部のタイトルが配信され,プレイすることが可能だ
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ここからは本体のみが展示されていたものを紹介
これは日本でも発売されたファミコン用周辺機器ロボットの北米版「R.O.B. (Robotic Operating Buddy)」。地味目だった日本版と比べると,北米版はパッケージのセンスが素晴らしい。近年の液晶テレビでは構造上プレイができない
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1983年7月に発売された日本が誇るコンシューマゲーム機,任天堂の「ファミリーコンピュータ」。北米版のNESと比べて色遣いや本体デザインはポップな印象だ。発売されたソフトは国内では1251本と圧倒的な数を誇る。出荷最初期のものはボタンがゴム製で四角く,コントローラーのケーブルがグレーだった |
こちらはシャープが任天堂のライセンスを得て販売した,1986年発売の「ツインファミコン」。北米ではディスクシステムが発売されなかったため,本機も国内のみの販売だった。価格はファミコン本体+ディスクシステムの価格よりも高い3万2000円。写真の赤と黒の2色展開だった |
松下電器が1994年に発売した「3DO REAL II」。かつて北米に存在した3DO社のマルチメディア端末の規格を松下など数社が商品化。ゲームではなく情報家電として発売している。ゲームクリエイター飯野賢治氏が手掛けた「Dの食卓」は,このコンシューマゲーム機で最初に発売された作品だ |
1995年に任天堂が発売したゴーグル型のコンシューマゲーム機「バーチャルボーイ」。当時の技術力において3Dにこだわった結果,このような特異な形状と赤黒の単色画面という仕様になってしまった。その志しは,現在のニンテンドー3DSに受け継がれている。北米版はパッケージがやや派手め |
なぜか各種コンシューマゲーム機と同じ場所に展示されていたセガの電子手帳「IR 7000」。1994年製の住所や電話番号などを記録できる端末で,その名のとおり赤外線で通信も可能。ちょっとしたゲームも収録されていたらしい。国内の情報が少なく,日本で発売されていたかどうかは不明 |
セガの「GENESIS 2」と,周辺機器「SEGA CD 2」。後者の国内での呼称はメガCDで,画像の製品は共に後期に発売された廉価版だ。右後ろに見えるのは,GENESISを32bit機にアップグレードするアダプター「32X」(国内ではスーパー32X)。専用のソフトも発売されていた |
セガがCATVの回線を利用して行っていた配信サービス「セガチャンネル」の受信用アダプター。初期費用25ドルと月額14.95ドルで,50種類以上のGENESISソフトを自由にダウンロードして遊べた。国内でも同様のサービスが行われたが,CATVのインフラが未発達であまり普及しなかった |
海外の店頭デモ用に用意されたとされる,マスターシステム用のマルチカートリッジコンシューマゲーム機。最大16種類のゲームソフトを収納できる構造で,客がゲームを自由に切り替えて試遊できる。本体上に置かれているのは,マスターシステム用の周辺機器3DグラスとSports Pad(トラックボール) |
前述のIntellivisionの周辺機器のキーボード「Computer Module」。これをIntellivisionにセットすることで,BASICが使えるホームコンピュータへと進化する。のちに発売された廉価版のIntellivision IIに合わせたデザインや色遣いになっている |
同じくIntellivision用の音楽キーボード「ECS Music Synthesizer」。説明パネルに“gigantic”とある,幅1メートルほどある巨大なデバイスで,Intellivision IIに差し込んで使用する。ECSは,Entertainment Computer Systemの略で,一括したエンターテインメントシステム構想が考えられていたようだ |
Intellivision用の音声合成モジュール「Intellivoice」。Intellivisionと対応ソフトの間に噛ませる形で使用するが,デザインはあまり考えられていないようだ。YouTubeなどで当時ものを作動させている動画を見ると,音声はことのほかクリアだが,対応ソフトは5本しか出なかったらしい |
Mattelの「Aquarius Computer」。発売は1983年だが,日本で売り出されていないため,その存在を知る人は少ない。OSにMicrosoft BASICを搭載。写真奥にある下の箱は,「Mini Expander」なる,ゲームコントローラを2つ使用できる専用アダプターが本体とセットになった製品だ |
ColecoVision用のゲームアダプター「Expansion Module 1」。当時のライバル機種であったAtari VCSのソフトが遊べるという掟破りの周辺機器で,案の定発売後にAtariに訴訟を起こされている。大きさが本体の半分ほどあり,VCSがそのまま入っているのではないかと思うほど巨大だ |
こちらもColecoVision用のコントローラ「Super Action Controller」。箱のみの展示だったが,ボックスアートを見ればその特異な形状は一目瞭然。スティックとテンキーに加えて,アナログスピナーと握りの部分に4つボタンが装備されている。「Super Action Baseball」というソフトが付属していたようだ |
ColecoVision用の周辺機器はまだまだある。こちらは「Roller Controller」なる,トラックボール型コントローラ。これも本体と同じぐらい巨大で,なぜか純正コントローラの収納口が左右に2つ装備されている。これを全て使うような想定でデザインされていたんのだろうか? |
Milton Bradleyから1979年に発売された携帯コンシューマゲーム機「Microvision」。ソフトが内蔵された本体上面のフェイスプレートを交換することで別のゲームが遊べるという,世界初のソフト交換式携帯コンシューマゲーム機だ。操作はダイヤルと,フェイスプレートに個別に用意されたボタンで行う |
Colecoの「Telstar Arcade」。1977年製でダイヤルとステアリング,光線銃などの操作系が,三角形の独創的な本体に装備されている。意外にもカートリッジ交換式で,本体中央にあるのがそれだ。展示物の光線銃を抜いてバンバン撃っている人を見かけたが,さすが遠慮のないフランクなお国柄である |
1986年に台湾のBit Corporationが発売した,当時すでに生産終了となっていたColecoVisionの互換性を持つコンシューマゲーム機「Dina」。ColecoVision以外に,セガのSG-1000のソフトもなぜか遊べるというアジア製らしい製品だ。展示の箱は北米向けのものらしく,本体の名前が別のものになっている |
1976年に発売されたアタリの「Atari Video Music」。厳密に言うとこれはコンシューマゲーム機ではなく,音楽を入力することでサイケデリックなドット絵の映像をリアルタイムに生成して映し出す映像機器である。DEVOやDaft PunkなどのPVなどにも映像が使われ,音楽関係者の間でも話題となった |
RCAが1977年に発売したコンシューマゲーム機「STUDIO II」。5種類のゲームを内蔵するほか,いくつかのゲームカートリッジも発売されている。操作は本体に装備されたテンキーのみで行う。同年に,本機をベースにした「ビジコン」なるコンシューマゲーム機を東芝が発売している |
前述のIntellivision用のIntellivoiceと同様に,Odyssey2用に作られた音声合成モジュール。本体上面にフィットするようにデザインされているのが,他社の周辺機器とは一線を画す点。音声はテレビではなく,このモジュールに搭載されたスピーカーから出るようになっている |
1972年にMagnavoxより家庭用向けに発売された,世界初のコンシューマゲーム機「Odyssey」。映像は四角い大きめのドットが表示されるだけだが,TV画面にオーバーレイという背景やキャラクターが描かれたフィルムを貼ることで,ゲームのルールや雰囲気を演出した。会場では箱のみの展示だったのが残念 |
Atari VCSがヒット中の1982年という微妙なタイミングで発売された上位機種「Atari 5200」。テンキーやポーズボタン,リセットボタンなどがついたアナログコントローラを装備していたが,これが操作しにくい上に壊れやすく,本機のイメージを大きく落としたとされている |
Emerson Radioから1982年に発売された「Arcadia 2001」。翌年にはバンダイが国内で「アルカディア」として発売し,「ドラえもん」や「機動戦士ガンダム」「Dr.スランプ アラレちゃん」など,日本独自のソフト展開もなされたが,同年にファミコンが発売され,短命に終わっている |
Midway傘下のBallyより発売された「Bally Astrocade」。元は1977年に通信販売のみで売られたコンシューマゲーム機で,その後ライセンス譲渡などにより,発売会社や名称が変わりながら,1985年頃まで現役だった息の長い機種である。発売時期のわりに,グラフィックスやサウンドがリッチなのも特徴だ |
複数のゲームをプレイヤーが自由に切り替えて遊ぶ業務用ファミコン「Famicombox」。大きな旅館やホテルなどに置かれていたらしい。専用のカートリッジやコントローラなどは,国内外ともにNESのものを採用している。左側には,ファミコン用体感コントローラ「パワーグローブ」の姿も見える |
各種コンシューマゲーム機とともに展示されていた,謎の任天堂ロゴ入りビデオ一体型の小型テレビ。真っ赤にペイントされているが,なんのために作られたものかは不明だ
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コンシューマゲーム機とはまた違った魅力のある,電子ゲームの数々。コンシューマゲーム機が家庭で手軽に遊べるようになる前は,これらが子供達の遊び相手だった。「スターゲイト」や「クレイジークライマー」など,アーケードから移植されたゲームの姿も見える
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当時の海外製コンシューマゲーム機のパッケージは,派手な色遣いと未来的なデザインで,見ているだけでもワクワクしてしまう
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Atariのキーボード搭載のホームコンピュータ「Atari 400」は,「Computer Demonstration Center」なる店頭用の専用ディスプレイケースに展示されていた。Atari 400は1979年に発売された,プログラミングもできるゲームマシンの先駆け的な存在だ。価格は549.95ドルだった
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コレクションの中でも
とくに貴重なものに関しては,ショーケースの中で展示されていた。ここで展示されていたコンシューマゲーム機についても一部紹介していこう。
1982年にENTEXが発売した「Adventure Vision」。バーチャルボーイのような赤色LEDのドットマトリクスディスプレイが標準装備された卓上用コンシューマゲーム機で,ロムカートリッジによるゲーム交換が可能だった。世界のゲームコレクターの垂涎の的となっている |
こちらもENTEX製の「Select-A-Game」。蛍光管で画面を表示する電子ゲームタイプの携帯型コンシューマゲーム機で,やはりカートリッジを交換することで別のゲームがプレイできる。左右に分かれたボタンは,2人でプレイするためのものだ。対応ソフトは6本あるらしい |
Atariが,発売を直前にして取りやめたという幻の卓上用コンシューマゲーム機「Atari Cosmos」。ホログラフが印刷されたオーバーレイを画面にセットすることで,画面奥にセットされた7×6個のLEDがホログラフを照らして画面に映し出すという構造らしい。完動品は世に数台しか存在しないとされている |
Atari 2600のエントリーモデル「CX-2000」の試作品。コントローラが一体化したシンプルかつ堅牢な構造で設計されていたが,実際には発売されることはなかった。この茶色バージョン以外に,写真上に見える児童向けの青い本体カラーのものも展示されていた |
この「Game Brain」は,1977年に発売するために開発されていた試作機で,中央のフタを開けてカセットを挿入するようになっている。順調に開発が進んでいた同社のVCSに押され,発売されることなくお蔵入りとなってしまった悲運のコンシューマゲーム機だ |
Fairchildが1976年に発売した,世界初のカートリッジ交換式コンシューマゲーム機「Channel F」。水道のハンドルのような形状のコントローラが特徴で,これを押し引きしたりひねったりして操作をする。北米では169.95ドルだったが,日本に輸入されたときの価格は……12万8000円!! |
なんと,Atariは頭でゲーム操作する「Mindlink Controller」なる周辺機器も開発していた。脳波ではなく,プレイヤーの額の筋肉の動きをヘッドバンドに装着された赤外線センサーで読みとり,それを無線で本体に伝達するという仕組みらしい。もちろんこれはお蔵入り
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ブースの中央には,1980年前後のAtari世代のリビングを再現。据置型コンシューマゲーム機は家族と一緒にリビングで楽しむものという北米での位置付けは,当時から変わらず現在まで引き継がれている |
レトロなアーケードゲームも展示されていた。プレイヤーが立ってプレイするアップライトタイプの筐体は,北米のスタンダードだ。こちらに展示されていたものについては,またいつか機会があったら紹介しよう |