連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第327回「自由と責任」
学生の頃,そうやって熱く説教する先生っていなかった? 言ってることはまあ正しいんだけど,まだ本格的に責任を取らされるようなことのない学生には,なかなか響かないわよね。それでも,年齢を重ねるにつれて,「本当にそうだよな」と思う機会は増えたわね。
参政権が18歳に引き下げられるかも? という話があるようだけど,それもこれも含めて年齢関係なく税金を払ってるんだったら別にいいのかなって気がするのよね。あとは,少年法における未成年の定義もね。要は世の中が少年をどの段階で大人扱いするのかって話なのよ。今は20歳。それを一般的に高校を卒業するであろう年齢に引き下げるかどうか。
ま,ぶっちゃけどっちでもいいわ。「自由と責任が隣り合わせ」だって実感するのは,いずれにせよ自分が自由にできるお金を生み出せるようになってからだと思うのね。10代のうちに分かる人もいりゃ,三十路を越えても分からない人だっている。大人のラインが20歳だろうが18歳だろうが,自由と責任のバランスがとれるような法整備さえされていれば,そこはどっちでもいい。
で,なんでこの話をしたのかと言えば,私が思うにゲイムにも……っていうか,エンターテイメント全般にも自由と責任というものはありまして。それで自由と責任について語らせていただければと思った次第です。
まず。ゲイムだけでなく,エンターテイメントという商品は,基本的に無形のものにお金を出してもらって成立しているのね。確かにゲイムはパッケージを売ったりもしているんだけど,あれもモノとして売っているんじゃなく,パッケージの中に入っているデータによって得られる楽しさ,感動,体験にお金を払ってもらってるわけ。もちろん,パッケージという形である場合は,入れ物も売っているわけだけどね。ただ,ダウンロード販売という概念が近年生まれているので,そこら辺を考えてもらえれば理解しやすいと思うの。
パッケージ販売かダウンロード販売かはさておき。ゲイムというエンターテイメントにおいて,モノではなくデータ,もっと言うとそのデータによってプレイヤーが受け取るものに対して,価格が設定されているのだと私は思うのよ。
で,作り手として考えてみた場合,ここでもうすでに一つの自由と責任が発生しているのね。それぞれ掘り下げてみましょうか。ゲイレスラーのゲイム連載だけに。あ,申し遅れました私ゲイのプロレスラー,男色ディーノです。ゲイだけに掘るのは得意です。対戦相手のパンツを下げて掘ってます。だから,厳密には掘り下げるというよりも下げ掘るって感じですかね。ええ,どうでもいいですね。
というわけで,エンターテイメントの作り手にとっての自由と責任のそれぞれを掘って考えてみるんだけど。
まず自由。これは,商品が無形であるがゆえに,何を作ってもいいという自由がそこにはあるわけ。作家性っていうのかしら。作った人の個性や人間性,人生観,仕事観,サービス精神が商品に反映されるわけ。これが有形の商品の場合,使いやすさだったり便利さだったりの企業努力はあるにせよ,そのモノを作るのが目的。
でもエンターテイメント産業は,何もかもが自由。作りたいものを作ることができるの。音楽もそう,小説もそう。もちろんプロレスだってそう。どのジャンルにもある程度の決まりごとはあるけど,それを満たしてさえいれば,本当に自由なの。商品を作るに当たって,そういう楽しさはあるわよね。
で,一方で責任。これは「顧客に対して,支払ってもらった金額分楽しませられるかどうか」じゃないかしら。金額分,というのがミソ。これはエンターテイメントに限った話じゃないんだけど,本来は商品の質は金額分でいいの。ただ,顧客に対して得した気分を与えたいと考えた場合,顧客に「この商品はお買い得だった」と思わせないといけない。これすなわち「払った金額以上のリターンがあった」と思わせるってこと。
有形の商品の場合は,顧客は見て判断してお金を投じるわけだから,基本的には買われた瞬間に顧客の判断が成立しちゃってるのね。原価率が低かろうが高かろうが,顧客が納得して購入したのであれば,その商品はその金額分の価値があるってことになる。
でもエンターテイメントの場合は,さっきも言った通り無形だから,顧客がどう受け止めたかで,金額に見合うかどうかの評価が変わるわけ。つまり,商品の内容を体感することでしか顧客は判断できないのね。そこに作り手として責任が生じるわけ。乱暴な言い方をすれば,エンターテイメントは「今からすごく楽しい気持ちにさせるよ,だからお金ちょうだい」っていう商売なのね。そう考えりゃ,まあ顧客は信用してお金を払ってるわけだから,責任は生まれてきますわな。
先週プレイし損ねて,当然まだクリアにまでは至ってないんだけど,語れるところまではプレイしたつもり。簡単に感想を述べると「自由度が高い」。これに尽きる。だから今回,自由と責任について話してきたの。
ゲイムにおける“自由度の高さ”って,プレイヤーが自由にどこにでも行けるかどうか,プレイヤーの意志で選択できるかどうか,そしてゲイムをマイペースに楽しめるかどうかで決まってくるものだと思うの。一般的に,だけど。オープンワールドのゲイムが増えたことで自由度の高い作品が増えたのは増えたけれども。でも,それにも責任はついて回るのよ。プレイヤーに対する,ではなく作り手の。
どういうことか。上で述べたとおり,作り手にはプレイヤーを楽しませる責任というか,むしろ義務があります。ゲイムの中ではプレイヤーにはなるべく責任を担わせず,自由を多めに感じてもらわなければなりません。それはいいんです。問題はここで,“オープンワールド=プレイヤーが自由に動き回る世界”を作り手は用意しました。プレイヤーはその世界を楽しんでいます。プレイヤーは自由に選択し,自由にゲイム内の世界を生きています。
……ここ! ここなのよ。作り手の責任って。作り手は,プレイヤーが自由に生きているにしても,その都度目的や目標を提示して,その世界に居続けたくなる理由を作らないといけないの。プレイヤーの選択肢があればあるほど,作り手はその選択肢に対応しなければならない。プレイヤーの強くなりたい願望にも応えなきゃならないし,一方でゲイムのバランスを維持しなきゃいけない。
ゼノブレイドは,このあたりが完璧に対応できているのよね。めちゃくちゃ自由度は高いの。大筋のストーリーはあるんだけど,オープンワールドだからどこにでも行ける。章が進むごとに自由に動き回れる世界が増える。クエストも豊富で,次から次へとやるべきことが出てくる。そういうゲイム。
要は,プレイヤーが感じる自由に対する責任を,ちゃんと作り手が果たしてくれてるの。だから,自由に楽しめる。面白いのもそうなんだけど,それよりも,“ヤりがいがあるゲイム”って評したほうがいい感じかしら。
この世界を表現するためにNewニンテンドー3DSのスペックが必要だったんだとすると,買い替えて良かったなと思えるわ。思いたい。思ってる。本体を買い替えろ,とまでは言わないけども,いつか買い替えたい人であれば,この機会にゼノブレイドの世界を体験してみてもいいんじゃないかしらね。
てなわけで,今週はゼノブレイドをプレイして自由と責任について軽く考え込んでしまった一週間でした。ちなみに,この連載は何を書いてもいいという自由があるんだけども,〆切を守ってはいないのね。ここだけ聞くと,私は与えられた自由に対して責任を果たしてないんじゃないか,と思われるかもしれないけれども,それは違うわ。これはね,責任を果たしてないんじゃなくて,〆切を守ろうとするがあまり,適当なことを書いてお茶を濁してしまってはいけない。それだったらどうせ〆切を守らなくても木曜日には更新されるわけだし,そもそも読者には私の〆切は関係ない。
重要なのは,木曜日に更新された瞬間に,読者に何を与えることができるのか。その内容こそが,私の担うべき責任じゃないのか! なので,ギリギリを多少超えてでも,非力な私の力を費やしてより良いものにしよう! そういった私の責任感が強すぎるがあまりごめんなさいごめんなさいそういやとくに有益な情報があった試しないですこの連載来週はがんばりますまた来週。
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 4:「龍が如く0 誓いの場所」
PlayStation 3:特殊なDVD ※死亡確認→復活予定
PlayStation Vita:「剣の街の異邦人 〜黒の宮殿〜」
PSP:「サモンナイト5」
Wii U:「ゼルダ無双」
Wii:「ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン」
ニンテンドー3DS:「ゼノブレイド」(※Newニンテンドー3DS専用)
Xbox 360:「剣の街の異邦人 〜白の王宮〜」
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(C)2010-2015 Nintendo / MONOLITHSOFT
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