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[GDC 2012]世界初の3Dポリゴンキャラクターゲーム「Alone in the Dark」は3日間のチームミーティングですべてが決まった
あのドアを開けるときの恐怖感,妙な小走りをする主人公カーンビー(女性主人公を選ぶとエミリー・ハートウッド)が,3D空間で動き回る新鮮さは,古参のゲーマー達に今なお賞賛されるほどである。日本のゲーム市場にも大きなインパクトを与えた作品なので,読者の中には覚えている人も多いだろう。
今回のゲーム開発回顧録(Classic Game Postmortem)では,そんなAlone in the Darkの生みの親であるフレデリック・レイナル(Frederick Reynal)氏が,作品の生まれたきっかけや,制作の裏側を話した。
1990年に Infogrames Entertainmentに就職して彼が最初に担当したのは,初めてPC向けにポリゴン3Dマップを実現した「Alpha Waves」というゲームの移植作業だった。そこで,「すごい! これで立体的なキャラクターのゲームを作れる時代が来る!」と感じたレイナル氏は,迷わず3Dキャラクターのゾンビが登場する――自身が夜な夜な鑑賞していたB級ホラー映画のような――ゲームを作ることを決めたそうだ。
登場人物をたった1人にし,残りをゾンビや幽霊,モンスターなどにすることでセリフをなくして,ゲームならではの孤独な雰囲気を演出する。1920年代を舞台にして,家庭の照明や街灯のあるような景色を消す。目的は,とにかく狭い場所から脱出すること……。
そんなビジョンをInfogramesの2Dアーティストだったディディア・シャンフレー(Didier Chanfray)氏に話したところ,1人の男がランプを持って,暗い部屋の中を進むというコンセプトアートが上がってきた。レイナル氏は,それをAlone in the Darkの原点にしたという。
その絵はオフィス中央の壁に貼られ,迷いが生じるたびに眺めるという,今のデザインブックのような用途でも使われていたとのこと。
当時は3Dモデリングの開発ツールがなかった時代である。しかしレイナル氏は,1991年初頭に自分で3Dモデラーを開発することを決意し,実際に「3DESK」というツールを作り上げている。これは,キューブ上の箱の中に,XとZ軸に動かせるパラメータが存在し,その接点の場所を調整してポリゴンの接点の位置を確定するという仕組みのものであった。
レイナル氏は,当時オフィスとして与えられていた,キューブ上の個室の中にいる自分の姿をスキャンすることを想像して,このツールを組み上げた。こうして生まれた3DESKは,現在でもレイナル氏のノートパソコンで利用できるというから驚きである。
当時は3Dモデリングばかりでなく,Photoshopのようなポリゴンのテクスチャ作成に利用できるツールも存在しなかったため,手作業でテクスチャに色を塗って“室内”を作った。しかも,まだ予算が組まれていない段階だったので,学生のインターンだったヤエル・バロス(Yael Barroz)さんを2D専属アーティストとして採用したという。
この後Man_0という,ワイヤーフレームのダミーが部屋の中を歩くというデモが作られると,1991年9月になって,幹部から開発続行のゴーサインが出た。こうして,シャンフレー氏はゲーム業界最初の「3Dアーティスト」となったのである。
このMan_0のワイヤーフレームキャラクターを,さらにMan_2へと昇格させて実質的な3Dキャラクターにしたものが,のちにゲームの主人公となるエドワード・カーンビーだ。ちなみにMan_0という名前は,プロトタイプゆえに付けられたものであり,“Man_2”は2番目のキャラクターという意味だった。Man_1は存在しない欠番で,これはちょっと妙な数え方だと,レイナル氏はジョーク交じりに当時を振り返る。
ちなみに,Man_2は140ポリゴンで作られている。参考までに,現在では100万単位のポリゴンによってキャラクターが作られ,それをスケールダウンして実際のゲームで利用する。実数値はゲームによって異なるが,「Uncharted 3: Drake’s Deception」の主人公で,5万ポリゴン程度となる。
ともあれレイナル氏達は,この主人公と,鳥型モンスターのキャラクターを構築したあと,さらに独自のアニメーション制作ツールを開発して,フレームごとのキャラクターアニメーションを作った。カーンビーの走る動作で4フレーム,鳥型モンスターの攻撃動作には3フレームと,フレーム数を抑えられたことでレイナル氏は得意満面だったらしい。
また,カーンビーのアワアワしたような,妙な小走りが印象深いアニメーションにも,制作秘話がある。実はレイナル氏が,シャンフレー氏に走るアニメーションの制作を依頼したところ,全力疾走するような手足の振りが大き過ぎるものが上がってきてしまったのだ。
レイナル氏は「もっと狭い部屋の中を走るような動作にしてほしい」と注文を出したのだが,これに対してシャンフレー氏は「部屋の中で走る姿なんて想像できない」と難色を示した。それならばということで,レイナル氏がオフィスの中で走って見せた姿が,あの小走りになったのだという。もともとは,もっと手を前に突き出したヨチヨチ走りだったので,プレイヤーが大笑いしない程度に改良したらしい。
続いてスクリプトエンジンやゲームエンジンを制作し,最初に鳥型モンスターと出会う部屋を作ってゲームらしくなったところで,2002年のGDCで「First Penguin」賞を受賞しているウーバート・シャルドー(Hubert Chardot)氏を脚本家として採用した。
さらに,H.P.ラヴクラフトのクトゥルフ神話をTRPG化した「Call of Cthulhu」の版権を持つChaosiumと,このプロジェクトをクトゥルフものにしようという話が持ち上がったというが,Chaosiumが「あまりRPG的ではない」として破談になってしまったらしい。だがレイナル氏は,「どうせキャラクターシートなんて関係のないゲームだった」と,内心はほっとしていたそうだ。
そして,この時点でいよいよレイナル氏は「3日間の断続的なチームミーティング」を行う。トイレや息抜き以外はオフィスの外に出ず,チームメンバー全員で(ゲームの舞台となる)デルセト屋敷のフロアプランから,ストーリー,モンスターの配置などを決定したのだ。
真ん中に屋敷のブループリントを敷いて行われたそのミーティングは,参加者が「まるでボードゲームのゲームマスターになったかのような雰囲気」だったそうだが,移動をスムーズにするためのドア位置の変更だとか,オブジェクトの置き換えといったこと以外は,ほぼこの3日間で決めたことが,最後まで利用されたという。
その後の開発は順調に進み,発売を3か月後に控えたAlone in the Darkチーム。このとき広報部から,パッケージやプレス向けに利用するスクリーンショットの提示を求められ,あることに気付いた。
カーンビーの顔は,目鼻も髪の毛もない,のっぺらぼうのままだったのである。開発者たちは,Man_2を完全に受け入れてしまったことで,のっぺらぼうのキャラクターが“普通”に感じるようになっており,指摘されるまで誰も顔をデザインすることを考えていなかったという。
慌てて2Dアーティストが顔をドットで書き入れたのが,実際のパッケージの裏でも利用されているスクリーンショットであり,これは完成版とは異なる髭のない“ちょっと男前”な顔になっている。結局,実際にカーンビーの顔がデザインされたのは発売1か月前の1992年11月のことだった。
こうして1992年12月にリリースされたAlone in the Darkだが,レイナル氏は「ここで正直に話しておきます。Alone in the Darkが発売された当時,あのゲームを作ったことが恥ずかしくて仕方がありませんでした。ドアを開けるときに目の前が見えないなど,カメラワークがおかしく,アドベンチャーゲームとしては失敗だと思った」と語る。
「開発チームのみんなは疲れきっていて,とにかく予定通りに出すしかなかった。ゲーマーの評価がとっても怖かった」と続けるレイナル氏だが,実際にはドアを開けたときに目の前がどうなっているのかわからないというのは,それ自体が「分からないものへの恐怖」というH.P.ラヴクラフトの名言と結び付けられ,ゲーマーやメディアから好評を得る結果となったのだ。
その後レイナル氏は,この作品に参加していた2Dアーティストのヤエルさんと結婚しており,今では2人の子供を育てながら,Ludoidという小さなゲーム開発会社を共同経営している。
レイナル氏は講演の最後で,会場からの質問に答え,「Alone in the Darkはアクションゲームではなくアドベンチャーゲーム。だから,その後のAlone in the Darkシリーズは僕の思い描いたものとは異なっています。どちらかと言うと,『サイレントヒル』や『アランウェイク』のような作品が,あの血脈を受け継いでくれていると思う」と話した。
レイナル氏は「いつかはAlone in the DarkのHD版を作りたい。本当にそうなることを願っています」と言って講演を締めくくり,集まった来場者達の拍手に包まれた。
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