連載
“剣闘士”とはいかなる存在だったのか。古代ローマ世界の実情に迫る「剣闘士 血と汗のローマ社会史」(ゲーマーのためのブックガイド:第23回)
「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
古代ローマ世界において,見世物興行として各地で開催された決闘競技――その主役たる奴隷戦士たちは,グラディウスという幅広・両刃の剣を用いたことから剣闘士(グラディエーター)と呼ばれた。
今回紹介する「剣闘士 血と汗のローマ社会史」は,古代ローマ社会を専門分野とする歴史学者・本村凌二氏の手になる,剣闘士の研究書である。2011年刊行の「帝国を魅せる剣闘士:血と汗のローマ社会史」(山川出版社)を文庫化したもので,筆者としてはアニメ「セスタス -The Roman Fighter-」の関連コラムを執筆するときにも大いに参考にさせていただいた。昨今,この種の硬派な歴史本は店頭から消えるのが早く,古書価も高くなりがちなのだが,ありがたいことに同書は現在も新刊書店に並んでいるだけでなく,電子版も販売されている。
「剣闘士 血と汗のローマ社会史」
著者:本村凌二
版元:中央公論新社
発行:2021年10月
価格:960円(税別)
ISBN:978-4122071308
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中央公論新社「剣闘士 血と汗のローマ社会史」紹介ページ
「剣闘士 グラディエータービギンズ」(アクワイア,2010年),「We Who Are About To Die」(Jordy Lakiere,2022年)など,剣闘士の戦いを題材としたゲームは数多いが,その多くは今世紀に入ってからのもので,どうやら2000年公開の映画「グラディエーター」の影響が大きいようだ。
それ以前となると,奴隷身分の戦士キャラクターは頻繁に登場するものの,ヒストリカルな剣闘士はあまり見かけなかった。いわゆるレトロゲームに分類される作品の中で,剣闘士が中心的なキャラクターとして登場する数少ないタイトルとしては,ゲームボーイ用のアクションRPG「聖剣伝説〜ファイナルファンタジー外伝〜」(スクウェア,1991年)と,メガドライブ用のアクションRPG「闘技王 キングコロッサス」(セガ,1992年)がある。後者の場合,ゲーム中は“闘技奴隷”と呼称されていたものの,闘技場で奴隷同士が戦わされるというあたり,間違いなく剣闘士である。
また「ファイナルファンタジー」のナンバリングタイトルでは,GBA版の「ファイナルファンタジーV アドバンス」(2006年)で,剣闘士が初めてジョブとして実装されている。「ドラゴンクエスト」シリーズでは「ドラゴンクエストモンスターズ3」(2023年)が最初のようだ。
シンプルな奴隷戦士に比べ,剣闘士(剣奴)としてしまうと闘技場と紐づいている印象が強いため,フィールドタイプのファンタジーRPGが主流だった時代には,そこがネックになったのかもしれない。
とはいえ,ゲームジャンルではそれほど見かけなかったというだけの話で,前世紀において,剣闘士の存在が知られていなかったというわけではまったくない。
現在,“剣と魔法(ソード・アンド・ソーサリー)”のファンタジーと総称されるジャンルが日本でも認知され,漫画やアニメの題材となりはじめた1970年代において,ビジュアル面でのイメージソースとなったのは,もっぱら1950年代から1960年代にかけて大予算を投じてハリウッドで制作された,スペクタクル史劇と呼ばれる大作映画の数々だった。
いわゆる中世ヨーロッパ風ファンタジーの枢要である魔法の要素がほとんどなく(そもそも古代区分だ),ジャンル的にも正しくは“剣とサンダル(ソード・アンド・サンダル)”に分類されるものではあったが,映画館での上映はもちろん,テレビが普及すると鳴り物入りで放送され,数多くのクリエイターに影響を与えたのだ。
そうした作品の中に,日本では1960年末に公開された映画「スパルタカス」がある。Howard Fast(ハワード・ファスト)の同名の小説を原作に,紀元前1世紀のイタリア半島を大いに震撼させたスパルタクス戦争を描いた作品で,勝敗がついた後に有力者が親指を上か下に向けることで,敗者にとどめを刺すかどうかを決めるという,のちの剣闘士ものにつきものの演出と合わせて,その後に前述の「グラディエーター」が事実上その地位にとって代わるまでの間,さまざまなファンタジー作品に登場する剣闘士(剣奴)の扱いや描写に大きな影響を与え続けた。
「スパルタカス」(リンクはAmazonアソシエイト) |
「グラディエーター」(リンクはAmazonアソシエイト) |
しかしながら,科学や自由思想を敵視し,迫害する教会の権威に抑圧された暗黒時代といった中世ヨーロッパのイメージが近年,覆されてきているように,スペクタクル史劇に描かれた古代ローマのイメージもまた,大きく変化している。
例えば剣闘士の起源については,「スパルタカス」が制作された頃はエトルリア起源説(エトルリアはイタリアの中部で,ローマの北)が通説だったが,1980年代以降は南イタリアのカンパニア地方起源説が優勢になっているようだ。また,前述した親指による処刑宣告についても,「親指を曲げて」「親指を逆にして」という史料の記述が根拠ではあるのだが,これが実際にどのような仕草なのかは判然とせず,映画制作者がこうだと決めたものが広く知れわたっているだけなのだ。
2010年代の専門的な知見に基づいて,こうした知識を過不足なく教えてくれるのが「剣闘士 血と汗のローマ社会史」だ。
同書によれば,剣闘士が最初に記録に出てくるのは紀元前4世紀で,当初は葬式や戦勝記念の宴などの余興として催されていたという。剣闘士の大多数は戦争捕虜で,多くの場合,自身も元剣闘士である興行師(ラニスタ)が中心の集団を形成した。現在よく知られている形の見世物興行に変化したのは前2世紀の中頃で,市民の人気を競うローマの有力者たちがスポンサーとなり,競技会を開催したそうだ。
意外なことに,ローマが帝政に移行した1世紀頃になると,どちらかが死ぬまで戦いを強制されるようなことは滅多になかった。これは剣闘試合の死傷者にまつわる記録から確認できるそうで,皇帝アウグストゥスにより「助命なし」の競技が禁じられたことと,剣闘士奴隷の育成と維持にはそれなりの費用がかかることから,浪費を避けるようになった事情があるという。それでも命に関わる危険な競技であることは確かで,関連書によれば100試合あたり19人の死者が出たようだ。これを多いと見るか少ないと見るかは,人それぞれだろう。
では,剣闘士について知りたいと思ったとき,どちらをまずお勧めするかといえば……筆者としてはやはり,「剣闘士 血と汗のローマ社会史」から読むことをお勧めしたい。この本書冒頭の第I部は,「ある剣闘士の手記」と題した小説仕立てになっていて,1世紀頃のカプアの養成所にいた剣闘士ミヌキウスの視点で綴られた物語として読めるのが,その大きな理由だ。剣闘士というのがいかなる職業で,どのように運営されていたのか,史実に即した実情を知りたいのであればこれほど分かりやすく,信頼性の高い参考資料はそうそうないだろう。
もっとも,図像主体の「グラディエイター 古代ローマ 剣闘士の世界」と併せて読むことで,より高い解像度の情報が得られるのは確かなので,このジャンルを掘り下げたい人は両方押さえておくといいかもしれない。
中央公論新社「剣闘士 血と汗のローマ社会史」紹介ページ
■■森瀬 繚(ライター)■■
フリーのライター,翻訳者。クトゥルー神話ジャンルにライフワーク的に取り組んでおり,8月には「クトゥルー神話解体新書2」がコアマガジンから刊行。ほか年内にラムジー・キャンベル作品集「グラーキの黙示3」「新訳クトゥルー神話コレクション6 狂気の山脈にて」など3冊の新刊が続く予定となっている。シナリオ,設定考証系のお仕事は随時募集中。
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