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韓国/日本の社会とゲーム/Web2.0。BBAオンラインゲーム専門部会で,ソウル中央大魏晶玄氏と,駒澤大山口 浩氏が講演
2006/07/24 22:45
 先週末7月21日の金曜夕刻から,東京大学本郷キャンパスで,ブロードバンド推進協議会(BBA) オンラインゲーム専門部会の,研究会第9回が開かれた。今回は,「みえてきたオンラインゲームの未来像 ―次世代Webとオンラインゲーム。日本のオンラインゲームはどこに行く―」と題し,ソウル中央大学 経営専門学科 助教授にして,韓国ゲーム業界に関する著作で広く知られた魏晶玄氏と,駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部の助教授 山口 浩氏が,それぞれ講演した。
 タイトルからも推測がつくとおり,講演の基調はWeb2.0および,ゲームと社会の関わりに置かれていた。いささかおおざっぱに見通しを述べるなら,山口氏が日本の現状をもとに,社会からゲームへという流れで語ったのに対し,魏氏は韓国の日常に立脚して,ゲームから社会へという視野で講演を行った。共通するのは「ゲームはすでにただの娯楽ではない」という視点だろうか。



■オンラインゲーム消費を支えるのは自己表現である?

Web2.0など,ゲーム以外の要素から,オンラインゲームに求められる要素を語った,駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部 助教授 山口 浩氏
 部会長である新 清士氏の挨拶に続いて,先に演壇に立ったのは山口氏。氏は,「ウェブサービスとしてのオンラインゲーム」と題し,ゲームがもはやただの娯楽でなくなったがゆえに,ゲーム以外の視点から,ゲームの課題や未来像を構想するという切り口で,さまざまな論点を挙げていく。
 単なる娯楽でないとすれば,何なのか。その答えとして,あるいは答えを探るためのキーワードとして,氏は注目点を次のように整理していく。

ソフトウェアとして見たとき
 → モジュール化,アウトソーシングの進展
デジタルコンテンツとして見たとき
 → 国際展開とメディアミックス
コンピュータネットワークとして見たとき
 → セキュリティ対応,QoS(通信速度保証)
Webサービスとして見たとき
 → メディア,コミュニティ/社会,遊び場,環境/プラットフォーム,文化

 そして,「ガンホーゲームズ」などの予定サービス内容を題材にしつつ,ポータルサイト化の進展や,ブログサービス,SNSなどのコミュニティビジネスと比較/統合して考える必要性を示した。このあたりは,近年のオンラインゲームの文脈をおおまかに把握していれば,すでにある程度共有されている認識といえるだろう。
 同時に,梅田望夫氏の著作「ウェブ進化論」を援用し,そのキーワードである,

チープ革命
総表現社会
マス・コラボレーション

という三つの視点から,オンラインゲームの今後に向けた提言を引き出す形で講演が進む。



 まず,技術の進展によって限られたメディア,限られたコンテンツ制作者という状況から,情報伝達量が増え,それをビジネス化していく展望が広がることを確認。増えた情報が消費者の時間を奪い合う構図を語り,有用な情報の選別を,メディアに代わってコンピュータによる集計と分析が果たすといった,ウェブ進化論のエッセンス部分の一つを解説した。
 そして,視聴/享受時間を奪い合う競争およびチープ革命との関わりでは,消費者がゲームに払う対価が下がるにもかかわらず,ゲームの開発費が簡単には下がらないことを指摘,ゲーム運営側がそれに対応するとすれば,

メディアに徹して他社コンテンツをも供給する地位に立つ
アイテム課金,段階制課金などで,一部消費者に集中依存する
広告など,プレイヤー以外から収入を得る

といった施策が必要になるだろうと主張した。実例として挙げられたのは,ガンホーゲームズと,米Microsoftがゲーム内広告配信企業を買収した件などだ。また,広告手法として「ポケモンだいすきクラブ夏休み大作戦!2004」などで展開された,提携企業サイトをオリエンテーリング形式で順に訪問させる企画を題材に,広告を見ることが一種の「労働」となっていくという見解を示した。
 また,総表現社会というキーワードをめぐっては,アバターのパーソナライズや,MOD開発への参加,コミュニティにおける交流,「Second Life」におけるプレイヤー著作物など,大枠でいえば想像がつく範囲の話題に留まった。ただし,「プレイヤーが求めるのは,自分が評価される場」であり,「自己表現こそが顧客ロイヤルティの源泉になる」という指摘や,「ユーザー間の交流は本質的にコントロールできず,権利調整が課題になる」といった論点提示は,現在のオンラインゲーム界を眺めたとき,なかなかよくまとまった批評であるように思われる。
 そのほか,Wikiなどに見られる「他人の存在が自分にとってのメリットとなる構図」をゲームに応用できないか,オンラインゲームを療養や社会訓練に用いられないか,キャストプレイヤーという形で雇用の拡大につなげられないか,など,ゲームが発揮し得る潜在的な可能性をいくつか指摘して,講演を終えた。



■日本のオンラインゲームはマニアしかプレイしない?

韓国と日本のオンラインゲームを,コンシューマゲーム体験や教育への応用などを通して対比した,ソウル中央大学 経営専門学科 助教授兼,コンテンツ経営研究所 所長の魏晶玄氏
 さて,カウンターパートというわけではないが,続いて登壇した魏氏は,「日本のオンラインゲームの進化・発展の方向性は正しいのか」と題し,韓国におけるオンラインゲームと社会の関わりを,実例を挙げつつ解説していった。
 氏は流暢な日本語で,「韓国で大航海時代 Onlineが期待されたほどの滑り出しを見せなかったと語ったら,メディアにやたらネガティブに書かれて,あとでフォローがたいへんだった」という趣旨の,軽妙なツカミの話題や,韓国でいま大問題になりつつあるオンライン賭博の問題,MMORPGが振るわない現状など,韓国における最新のトピックスを披露したあとに,本題に入った。



 氏の話題の一つめは韓国におけるWeb2.0の進展。検索サイト「Naver」が2002年から展開した「知識in」(チシギン)という,ユーザーが知識を提供しあうWikipediaないし「はてな」に近いサービスを武器に,検索サービスにおける70%のシェアを掌握した経緯を簡潔に説明した。ちなみに韓国Yahoo!は,検索サイトのシェアで見ると4位か5位に留まっている。知識inは現時点でAPIの公開も行っており,その意味を含めて韓国におけるWeb2.0の試みは,2002年に始まっていたと,氏は主張する。
 だが,氏が語ろうとすることとしてより重要なのは,「開放性,参加性,共有制,連結性から成る次世代Webの議論は,もともとオンラインゲームが実現してきた精神ではないか」という主張のほうだろう。そして,コンシューマゲーム開発に比べたオンラインゲーム開発の先進性を,

インタフェースの標準化,共通化
製品,サービス構造のモジュール化
サードパーティの活性化

という,三つの論点に沿って説明し,それが日本におけるオンラインゲーム開発にとって,有益な視点になるはずだと指摘した。氏の見るところ,日本のオンラインゲームにとって課題となるのは,

まだ「サービス」としての認識が弱い
ゲームよりサービス,サービスよりプラットフォームとしての認識と,多様なコンテンツの接続可能性
世界展開を見据えた設計になっているか
次世代ゲームに進化することを考慮に入れているか

などといった点のようだ。氏が口頭で補足したところによれば,日本のオンラインゲームはコンシューマゲーム文化の影響もあり「労力割り当てのうえでグラフィックスを重視しすぎ」であり,ゲームサービスは変わっていくものだという認識が薄い。また,アイテム課金にしても,アバターアイテムの課金率は経験上10%から30%に留まるはずなので,もっともっとシステムの利用権や,ゲーム内広告,ポータルへの広告掲載で収益を上げる方向に,シフトしていく必要があるという。



魏氏が示した,「君主」のゲーム内ニュース番組の映像
 次いで,話題の焦点はゲームの開発から,ゲームを受容する社会側へと移る。オンラインゲームが持つ可能性を,教育,医療,ニュース&ポータル,コミュニティ,放送という,五つの面から分析する魏氏は,「君主」の中で提供されているゲーム内放送局などを例に挙げつつ,韓国での取り組みを挙げていく。
 会場のプロジェクタで実際に映像を示しつつ,氏は君主の韓国サービスで,ゲーム内ニュース番組が有志の手によって実際に機能していることを説明した。キャスターを務めているのは放送業界の経験を持つ人であるが,ゲーム内での立場はあくまで一プレイヤーである。ちなみに韓国では,制度上ゲーム内で放送事業を行うことは禁じられているそうだが,ゲーム内の話題に特化した内容であれば,そこには足を取られないらしい。
 また,2万人の市民記者によって記事が書かれるWeb新聞「オーマイニュース」の隆盛と,紙の新聞の衰退,さらに1人で映像をインターネット発信できるサービス「Afreeca」で,ワールドカップのテレビを映しつつ,オリジナルの解説を配信する人の人気ぶり(テレビ映像を配信することが権利上問題視されてからは,解説のみを配信し,音声を消したテレビを見ながら楽しむ形に変容していったらしい)にも触れ,そうしたいわばWeb2.0的な取り組みが,成功を示しつつある現状を,オンラインゲームと絡めて解説していった。 そして,この点から日本が憂慮すべきは,若い世代の「オンライン・トレーニング」の欠如であり,携帯電話などによる比較的狭いコミュニティ体験が,来たるべき「Global Virtual Society」のなかでの孤立を招く危険だとした。




魏氏が取り組んだ,小学校におけるオンラインゲームを使った教育実験の様子
 一方,教育の分野でも日韓の開きは大きい。韓国では4歳児の7割以上がインターネットを経験し,オンラインコンテンツに触れているという。実際,魏氏自身が取り組んだ,小学校におけるオンラインゲームを使った教育実験は,注目に値する成果を上げ,それはすでに論文としてまとめられているという。
 対して,日本のオンラインゲームは子供がやらないものとなっており,一部マニアのものに留まっている点を問題として指摘した。



 虚心坦懐に聞くならば,Web2.0自身がなおも抱える問題に対する指摘の欠如は,少々気になった。例えば情報の質的差異を,情報そのものに基づいて分析する発想をほとんど持たない点,どこまでも表面的な需要と反応の計測に依存しており,重要な意見と取るに足らない意見を,形式的な支持者の数で判断するしかないといった点への批判的検討は語られず,Web2.0をとにかく良きもの新しきものとして,そのまま援用していた印象だ。
 また,ゲームの未来を語るに当たり,ゲームがどこまでもゲームであること,ほかのWebサービスと異なる点をどう使うかこそ重要ではないかという思いも,なきにしもあらずであった。もっとも,そうした論難は,ある意味「木に縁りて魚を求む」類のことであろう。
 オンラインゲーム,とくに日本のそれについて可能性や着想を広げることが講演の大きな目的であり,そのなかにあって魏氏が端々で示した見解,例えば「今後のオンラインゲームビジネスは,顧客に癒しを提供するという意味で,宗教ビジネスと似たものになっていく」などという話題は,実に刺激的で面白いものだった。
 そうした意味で,当初の目的に合致し,示唆的な論点を多く含む講演内容だったといえよう。(Guevarista)


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http://www.4gamer.net/news/history/2006.07/20060724224524detail.html